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雍太宰令

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

雍太宰令(ようたいさいれい)は、古代中国の前漢の時代にあった官職である。史書に廱太宰令と書かれる[1]雍県での国家的祭祀への供え物を用意した。

解説

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『漢書』百官公卿表によれば、奉常または太常に属し、補佐として雍太宰丞(廱太宰丞)がついた[1]

前王朝の古い都だった雍(雍県)には、漢の時代になっても祀るべき施設が多く、特に雍の五畤で郊祭する皇帝は多かった[2]。首都長安にいた太宰令と別に、五畤などを祀るために置かれたのが雍太宰令である。雍には別に、祭祀で神を迎え送る雍太祝令と、五畤のそれぞれの尉もいた[1]

雍なしの太宰令の職務は、後漢時代について「(かなえ)、俎(まないた)、饌具の物(供え物につかう器具)」を製作することと、「国の祭祀で饌具を陳列する」ことを掌る、と記される[3]。前漢の雍太宰令も同様であろう。

漢書』では雍太宰ではなく「廱太宰」と書かれており、後漢末の文穎はこの廱を食物の調理と解する[4]。唐の顔師古は、廱なしの太宰が既に食物を供える官なのに、重ねて調理の人を置くことはない、という[4]。廱が調理なら、廱太祝も調理の太祝で、さらに重複する。三国時代の如淳は、廱はのことで、五畤のために特に太宰以下の諸官を置いた、という。『漢書』郊祀志には祭祀にかかわる「雍太祝」が見えるので[5]、廱と雍が通じるとすべきであろう[6]

後漢では置かれず[7]、後の王朝にも引き継がれなかった。

脚注

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  1. ^ a b c 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』38頁。
  2. ^ 『漢書』巻25巻、郊祀志。
  3. ^ 『後漢書』志第25、百官志2、太常。早稲田文庫『後漢書』志2の449 - 450頁。
  4. ^ a b 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』45頁。
  5. ^ 『漢書』巻25巻、郊祀志。ちくま学芸文庫『漢書』2の578頁。
  6. ^ 『『漢書』百官公卿表訳注』45頁。
  7. ^ 『後漢書』志第25、百官志2、太常。早稲田文庫『後漢書』志2の452 - 453頁。

参考文献

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  • 班固著、『漢書
    • 小竹武夫訳『漢書』1から8、筑摩書房、ちくま学芸文庫、1998年。
    • 大庭脩監修、漢書百官公卿表研究会『『漢書』百官公卿表訳注』、朋友書店、2014年。
  • 司馬彪続漢書』(范曄『後漢書』に合わさる)
    • 渡邉義浩訳、劉昭注『後漢書』志一、二(早稲田文庫)、早稲田大学出版部、2023年、2024年。