雍太宰令
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雍太宰令(ようたいさいれい)は、古代中国の前漢の時代にあった官職である。史書に廱太宰令と書かれる[1]。雍県での国家的祭祀への供え物を用意した。
解説
[編集]『漢書』百官公卿表によれば、奉常または太常に属し、補佐として雍太宰丞(廱太宰丞)がついた[1]。
前王朝秦の古い都だった雍(雍県)には、漢の時代になっても祀るべき施設が多く、特に雍の五畤で郊祭する皇帝は多かった[2]。首都長安にいた太宰令と別に、五畤などを祀るために置かれたのが雍太宰令である。雍には別に、祭祀で神を迎え送る雍太祝令と、五畤のそれぞれの尉もいた[1]。
雍なしの太宰令の職務は、後漢時代について「鼎(かなえ)、俎(まないた)、饌具の物(供え物につかう器具)」を製作することと、「国の祭祀で饌具を陳列する」ことを掌る、と記される[3]。前漢の雍太宰令も同様であろう。
『漢書』では雍太宰ではなく「廱太宰」と書かれており、後漢末の文穎はこの廱を食物の調理と解する[4]。唐の顔師古は、廱なしの太宰が既に食物を供える官なのに、重ねて調理の人を置くことはない、という[4]。廱が調理なら、廱太祝も調理の太祝で、さらに重複する。三国時代の如淳は、廱は雍のことで、五畤のために特に太宰以下の諸官を置いた、という。『漢書』郊祀志には祭祀にかかわる「雍太祝」が見えるので[5]、廱と雍が通じるとすべきであろう[6]。
脚注
[編集]- ^ a b c 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』38頁。
- ^ 『漢書』巻25巻、郊祀志。
- ^ 『後漢書』志第25、百官志2、太常。早稲田文庫『後漢書』志2の449 - 450頁。
- ^ a b 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』45頁。
- ^ 『漢書』巻25巻、郊祀志。ちくま学芸文庫『漢書』2の578頁。
- ^ 『『漢書』百官公卿表訳注』45頁。
- ^ 『後漢書』志第25、百官志2、太常。早稲田文庫『後漢書』志2の452 - 453頁。