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隴東郡

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隴東郡(ろうとう-ぐん)は中国五胡十六国時代南北朝時代に設けられていた

前趙安定郡を分割して隴東郡を設けた。治所は涇陽県(現在の甘粛省平涼市崆峒区西北)[1]。管轄下に涇陽県、袓厲県、撫夷県が置かれ、幽州に属した。後趙はこれにならい、雍州に属した。前秦では司隷校尉に属した。後秦では秦州に属した。夏(胡夏・大夏)では涼州に属した。北魏では涇州に属した。西魏では東秦州に属した。北周では隴州に属した。開皇三年(583年)に文帝(楊堅)は隴東郡を廃し、管轄下の県の汧陽縣、汧陰縣は隴州に直属させ、後には岐州扶風郡の下に移した。隋末に扶風郡汧源県に改めて隴東郡を置き、唐高祖(李淵)武徳元年(618年)に隴東郡を隴州に改めた[2] [3]

脚注

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  1. ^ 資治通鑑胡三省音註』巻第一百七・晉紀二十九・烈宗孝武皇帝中之下⑫「涇陽縣,前漢安定郡後漢省,隴東郡杜佑曰:漢涇陽縣在今平涼郡界涇陽故城是。〉」s:zh:資治通鑒 (胡三省音注)/卷107
  2. ^ 魏書』巻一百六下 地形志二下 第七「隴東郡領縣三 涇陽 祖居 撫夷」s:zh:魏書/卷106下#涇州
  3. ^ 隋書』卷二十九 志第二十四 地理上・雍州「扶風郡舊置岐州,統縣九,戶九萬二千二百二十三。」「汧源西魏置隴東郡及汧陰縣,後改縣曰杜陽。後周又曰汧陰。開皇三年郡廢,五年縣改曰汧源。又有西魏東秦州,後改為隴州,大業三年州廢。有關官。有隴山、汧山、汧水。」s:zh:隋書/卷29

参考文献

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