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阿竹斎次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阿竹齋次郎から転送)

阿竹 斎次郎(阿竹 斉次郎[1]、あたけ さいじろう、1892年明治25年)2月13日[2] - 1985年昭和60年)12月30日[3])は、宇治山田市(現・伊勢市)長(1期)。参議院議員(1期)。

経歴

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三重県度会郡宇治山田町中島町(宇治山田市中島町[2]を経て現伊勢市[4])で生まれる。第五小学校を卒業した[2]。家業の阿竹味噌醤油醸造業を継承[4]尾崎行雄に私淑し、咢堂会会長を務めた[4]

1926年(大正15年)10月、宇治山田市会議員に当選し6期在任[2]。1931年(昭和6年)10月、三重県会議員に選出され2期在任した[2]。この間、市是調査委員、市税調査委員、臨時財政調査員、都市計画三重地方委員、選挙粛清実行委員、高等女学校建築委員、学務委員などを務めた[2]

1946年宇治山田市長の斎藤真澂の退任による市長選挙が6月に行われ、5000票余りで当選した[5]。市長時代は市民生活の再建に没頭した[6]。翌1947年第1回参議院議員通常選挙において三重県地方区から諸派(咢堂会)で立候補して当選(補欠、任期3年)した[7]。当選後は無所属懇談会に入り[8]、その後は無所属を経て[9]緑風会に入った[10]1950年第2回参議院議員通常選挙で落選[7]

1978年秋の叙勲で勲四等旭日小綬章受章[11]1985年12月30日死去、83歳。死没日をもって従五位に叙される[12]

脚注

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  1. ^ 阿竹 斉次郎」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E9%98%BF%E7%AB%B9%20%E6%96%89%E6%AC%A1%E9%83%8Eコトバンクより2022年12月12日閲覧 
  2. ^ a b c d e f 『三重県議会史 第3巻 上』県会議員略歴写真30-31頁。
  3. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』232頁。
  4. ^ a b c 『日本政治史に残る三重県選出国会議員』177頁。
  5. ^ 『伊勢年鑑』昭和46-50、52年版、7頁。
  6. ^ 『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、633頁。
  7. ^ a b 『朝日選挙大観』592頁。
  8. ^ 『議会制度百年史 院内会派編貴族院参議院の部』257頁。
  9. ^ 『議会制度百年史 院内会派編貴族院参議院の部』284頁。
  10. ^ 『議会制度百年史 院内会派編貴族院参議院の部』269頁。
  11. ^ 『官報』号外第87号1頁 昭和53年11月6日号
  12. ^ 『官報』第17679号11-12頁 昭和61年1月20日号

参考文献

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  • 三重県議会史編さん委員会編『三重県議会史 第3巻 上』三重県議会、1970年。
  • 『伊勢年鑑』昭和46-50、52年版、伊勢新聞、1976年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』廣新二、1985年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 院内会派編貴族院参議院の部』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
公職
先代
斎藤真澂
伊勢市旗三重県旧宇治山田(現伊勢市)市長
1946年 - 1947年
次代
北岡善之助