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阿倍駿河

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
阿倍駿河
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
官位 散位従四位下
主君 元明天皇元正天皇聖武天皇
氏族 阿倍氏
父母 父:阿倍宿奈麻呂
兄弟 駿河子島毛人
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阿倍 駿河(あべ の するが)は、奈良時代貴族大納言阿倍宿奈麻呂の子。官位散位従四位下

経歴

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和銅4年(711年)に従六位上から三階昇進して従五位下叙爵

養老4年(720年)正月に従五位上に進む[1]。同年9月28日に東北地方蝦夷の大規模な反乱が起こり、陸奥国按察使上毛野広人が殺害された。翌29日に駿河は鎮狄将軍として節刀を授けられ、征夷将軍多治比縣守と共に軍を率いて東北地方へ遠征する。養老5年(721年)4月に乱を鎮圧して京に帰還[2]。その後、正五位下に叙せられた。

神亀元年(724年聖武天皇即位後まもなく正五位上に昇叙され、神亀3年(726年従四位下に至る。

官歴

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続日本紀』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 47頁。
  2. ^ 『続日本紀』養老5年4月9日条

参考文献

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  • 宇治谷孟『続日本紀 (上)』講談社講談社学術文庫〉、1992年。
  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年。国立国会図書館書誌ID:000001831027