阿久津謙二
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阿久津 謙二(あくつ けんじ、1883年(明治16年)9月22日[1] - 1965年(昭和40年)12月26日[2])は、日本の英語教育者。東京商科大学(現一橋大学)専門部教授を務めた。
人物・経歴
[編集]栃木県下都賀郡稲葉村の農家の二男として生まれる[3][4]。1902年栃木県立中学校(現栃木県立栃木高等学校)卒業[5]。1910年ミネソタ大学卒業、LLB(法学士)[5][4][6]。
栃木県立中学校教諭[5][4]、栃木県立商業学校(現栃木県立宇都宮商業高等学校)教諭を経て[7]、1914年広島県立広島商業学校(現広島県立広島商業高等学校)教諭[5][4]。1918年山口高等商業学校(現山口大学)教授[5][4]。同年東京高等商業学校(現一橋大学)教授[5][4]。
1920年東京商科大学(現一橋大学)予科教授[5][4]、中央大学予科講師[6]。1935年東京商科大学予科主事[8]。1936年東京商科大学附属商学専門部教授[9]。1938年勲四等瑞宝章受章[10]。1944年退官[4]、叙正四位[11]、叙従三位[12]。
親族
[編集]長男阿久津桂一は東京商科大学講師在任中早逝した[5][4]。三女智惠子は吉永榮助一橋大学名誉教授の妻[5][4]。
著作
[編集]著書
[編集]- 『英文物語論文抄』尚文堂 1920年
- 『最新英米略語辞典』一橋書房 1953年
- 『最新英米略語辞典追録』一橋書房 1956年
編著
[編集]- 『モツクエグザミネエシヨンクエツシヨンズ』成業堂 1924年
- 『パッセーヂス・フロム・エミネント・オーサーズ』成業堂 1934年
編書
[編集]- 『ジユリイスプルーデンス』興文社 1936年
訳書
[編集]- ジョン・C・ベーカー『重役と経営』(米沢甚二と共訳)一橋書房 1951年
脚注
[編集]- ^ 『人事興信録 第22版 上』(人事興信所、1964年)あ18頁
- ^ 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』(日外アソシエーツ、1983年)p.8
- ^ 野州名鑑
- ^ a b c d e f g h i j 「熊本商科大学の昇格と阿久津文庫」産業経営研究 = Studies of economics and business (31):2012.3
- ^ a b c d e f g h i 阿久津謙二 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報)]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
- ^ a b 中央大学誌
- ^ 官報 1913年04月17日
- ^ 東京商科大学一覧 昭和17年度
- ^ 官報 1936年02月20日
- ^ 官報 1938年01月18日
- ^ 官報 1944年04月13日
- ^ 官報 1944年05月03日
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