阪本弥一郎
表示
阪本 弥一郎(さかもと やいちろう、慶応元年6月14日[1](1865年8月5日) - 大正12年(1923年)1月13日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会→大同倶楽部→中央倶楽部→立憲同志会)。弁護士。
経歴
[編集]備後国深津郡福山町(現在の広島県福山市)出身。英吉利法律学校(のち東京法学院、現在の中央大学)で学び、在学中の1890年(明治23年)に代言人試験に合格し、翌年に卒業した。1893年(明治26年)より和歌山市に弁護士事務所を開業した。1898年(明治31年)には和歌山市会議員に選ばれた。1900年(明治33年)より弁理士や破産管財人も務めた。
1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第10回・第11回でも再選を果たした。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 鷹居匡『第二十八議会衆議院議員写真列伝』経済時報社、1912年。