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関市立倉知小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関市立倉知小学校
地図北緯35度29分02秒 東経136度53分47秒 / 北緯35.48382度 東経136.89633度 / 35.48382; 136.89633座標: 北緯35度29分02秒 東経136度53分47秒 / 北緯35.48382度 東経136.89633度 / 35.48382; 136.89633
国公私立の別 公立学校
設置者 関市
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B121220500054 ウィキデータを編集
所在地 501-3255
岐阜県関市段下66-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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関市立倉知小学校(せきしりつ くらちしょうがっこう)とは、岐阜県関市にある公立小学校

通学区域

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  • 通学区域は、倉知(津保川以北の大部分)、段下、巾1-3丁目、新田、馬場出、十六所の一部、緑町2丁目の一部、東福野町、中福野町、栄町3丁目の一部、栄町4・5丁目、北福野町1丁目、西福野町1・2丁目、雄飛ケ丘、山王通1丁目、山王通西、十三塚町、十三塚南、十三塚北、小瀬の一部、力山の一部などであり、公立中学校の進学先は関市立緑ヶ丘中学校である[1]

沿革

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  • 1873年(明治6年)6月 - 武儀郡倉知村に開校。聴松寺を仮校舎とする。
  • 1875年(明治8年) - 民家(旧・藩主の家)を購入し、校舎とする。
  • 1886年(明治19年) - 倉知尋常小学校に改称する。
  • 1887年(明治20年)
    • 4月 - 簡易科を設置する。
    • 7月 - 桐谷地区が関町から倉知村に編入される。桐谷地区に倉知尋常小学校桐谷分教場を設置する。
  • 1890年(明治23年) - 簡易科を廃止。
  • 1891年(明治24年)10月28日 - 濃尾地震により校舎が全壊し、休校。
  • 1892年(明治25年)5月 - 慈照庵を仮校舎とし、授業を再開。
  • 1894年(明治27年) - 校舎を新築する。
  • 1902年(明治35年) - 桐谷分教場が移転する。
  • 1907年(明治40年)3月 - 桐谷分教場を廃止。
  • 1911年(明治44年) - 校舎を新築する。
  • 1914年(大正3年)4月1日 - 倉知農業補習学校を併設する。
  • 1926年(大正15年) - 倉知村青年訓練所を併設する。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 倉知国民学校に改称する。
  • 1943年(昭和18年)10月1日 - 倉知村が関町に編入される。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 関町立倉知小学校に改称する。
  • 1948年(昭和23年)12月 - 校舎を増築する。
  • 1950年(昭和25年)10月15日 - 関町が市制施行し関市となる。同時に関市立倉知小学校に改称する。
  • 1953年(昭和28年)5月 - 校舎を増築する。
  • 1966年(昭和41年) - プールが完成。
  • 1967年(昭和42年)11月 - 向山学園の小学部(現・岐阜県立ひまわりの丘第一学園[2])を倉知小学校分教室として発足。
  • 1973年(昭和48年)4月 - 現在地に校舎を新築(鉄筋コンクリート造3階建)し、移転。
  • 1974年(昭和49年)4月 - 校舎を増築。
  • 1978年(昭和53年)5月 - 校舎を増築。体育館が完成。
  • 1986年(昭和61年)4月 - 津保川以南の校区とする関市立南ヶ丘小学校を分離。

交通

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 関市HP:関市立小中学校及び関商工高等学校の通学区域について
  2. ^ 社会福祉法人岐阜県福祉事業団が運営する、知的障害児の学園
  3. ^ 三柿野駅前 - テクノプラザ - 関シティターミナル - せき東山

参考文献

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  • 山野豊 倉知の土地改良史と倉知の歴史 (倉知土地改良史編集委員会 1986年) P.753 - 776
  • 新修関市史 通史編 近世・近代・現代 (関市 1999年) P.811
  • 年表 市制35年の歩み (関市教育委員会 1985年) P.18 - 42


外部リンク

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