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関口隆正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

関口 隆正(せきぐち たかまさ、1856年6月27日安政3年5月25日[1] - 1926年大正15年)4月26日[2][3])は、明治、大正時代の漢学者[3]。幼名は璵四郎、号は外斎、岳南、耕堂、無改、夢界[1]

略歴

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清水礫洲(れきしゅう)の四男[1]。中村知常の養子、関口隆吉の婿養子[1]江戸・牛込門内に生まれる[1]安井息軒大橋陶庵に学び、岡松甕谷紹成書院[4]の幹事となった[3]1884年(明治17年)に留学[3]1890年(明治23年)6月〜12月及び、1891年(明治24年)4月〜1892年(明治25年)7月の間、静岡県尋常中学校で教鞭を執る(国漢[注釈 1][5]。私立静岡女学校第3代校主。日清日露戦争では陸軍通訳として従軍[3]。1897年に台湾総督府台中弁務署長に任ぜられ、1899年には彰化弁務署長も兼任し、1901年に辞職[1]。1907年には南満洲鉄道社員となり、大連に滞在[1]。1909年から1911年までは台湾において銀行・印刷会社創立に携わった[1]。1917年より1919年まで旅順高等学堂の教授をつとめる[3][1]

著書

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  • 『夢界叢書』関口隆正 編 関口隆正 1913
  • 『夢界遺文 1』 関口泰 1929
  • 『夢界遺文 2』 関口泰 1929
  • 『夢界遺文 3』 関口泰 1929
  • 『關口元老院議官地方巡察復命摘要 1』 何陋軒書屋 1938
  • 『關口元老院議官地方巡察復命摘要 2』 何陋軒書屋 1938.5
  • 『関口隆吉伝』 何陋軒書屋 1938
  • 『関口隆吉伝』 関口隆克 1984.5

家族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『静岡県立葵文庫和漢図書目録 久能文庫之部』静岡県立葵文庫、1928年、p.9。
  2. ^ 関口 隆正 - Webcat Plus”. webcatplus.nii.ac.jp. 2022年10月17日閲覧。
  3. ^ a b c d e f コトバンク 関口隆正
  4. ^ 日本の私塾一覧#明治時代参照
  5. ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 30頁。

注釈

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外部リンク

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