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長鯨丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長鯨丸
基本情報
建造所 William Denny and Brothers
運用者 幕府海軍[1]明治政府[2]
建造費 買価:200,000ドル[3]
艦歴
竣工 元治元年(1864年)[1]
就役 慶応2年8月12日幕府購入[1]
明治2年(1869年)6月捕獲
その後 明治2年(1869年)11月10日民部省へ移管
要目([1]による)
排水量 996英トン
長さ 250 ft (76.20 m)
36 ft (10.97 m)
吃水 22 ft (6.71 m)
推進 外輪
出力 300馬力
その他 船材:
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長鯨丸(ちょうげいまる/ちゃうげいまる)は[4]幕府海軍[1]、後に日本海軍(軍務官直轄[2])の運送船[4](運輸船[2])。

長鯨は「大きな鯨」の意味[5]杜甫の『飲中八仙歌』に「飲如長鯨吸百川」(飲ムコト長鯨ノ百川ひゃくせんヲ吸フガ如シ[6])とある[5]

船歴

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幕府海軍長鯨丸の日本人水兵(1867年、ジュール・ブリュネ作)

元は1864年(元治元年)にイギリスグラスゴーで竣工したイギリスの鉄製外輪汽船[1]DANBERTON[7](ダンバートン[1]、ドムバルトン[5])。建造はWilliam Denny and Brothers[8]慶応2年(1866年)8月12日に江戸幕府横浜で購入し[1]長鯨丸と命名した[5]。価格は20万ドルであった[8]

7月に大阪城にて死去した将軍徳川家茂の遺体を運ぶため、9月2日に大阪を出航し、6日に江戸に到着している[9]

慶応4年(明治元年)4月11日、幕府艦船処分の際に徳川氏(静岡藩)に与えた[2]。 同年8月19日に榎本艦隊に編入され、函館に向かった[10]。 同年6月に箱館戦争新政府軍が捕獲、6月12日に軍務官所管となったが11月10日に民部省へ移管された[7]。 『日本近世造船史 明治時代』によると、明治3年大蔵省に移管した[2]

その後は汽船回漕会社に交付、万里丸(萬里丸)と改名され1880年(明治13年)まで使用された[7]。 更に三菱会社で浮き倉庫(ハルク)として使用された[7]

または、明治3年1月に廻漕会社が創設され、「長鯨丸」はそこに属す[11]。廻漕会社は明治4年1月に廻漕取扱所に継承される[12]。明治5年8月には日本国郵便蒸気船会社が創立されて廻漕取扱所所有船が払い下げられた[12]。この時に「長鯨丸」は「萬里丸」と改名された[13]。しかし同社の経営は悪化し、1875年6月にその所有船は「長鯨丸」も含めて政府に買い上げられ、会社は解散となった[14]。買い上げられた汽船は同年9月に郵便汽船三菱会社に下げ渡され、「萬里丸」も同社所属となった[15]。「萬里丸」は1877年に帆船となり、1878年に庫船とされた[13]。その後は明らかでない[13]

要目

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『日本近世造船史 明治時代』による要目は右上表の通り[1]。 その他の文献による主な要目は以下の通り。

  • 『日本海軍艦船名考』:長41間4尺(75.76m)、幅6間(10.91m)、深3間4尺(6.67m)[5]
  • 『日本海軍史』第7巻:長さ77.6m、幅11.2m、吃水6.3m[16]

船長

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本海軍史』第9巻、86頁によると1869年8月30日から。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i #日本近世造船史明治(1973)p.86
  2. ^ a b c d e #日本近世造船史明治(1973)p.173
  3. ^ #海軍歴史23船譜(1)画像4
  4. ^ a b #近世帝国海軍史要(1974)p.883
  5. ^ a b c d e #艦船名考(1928)p.20、長鯨 ちやうげい Tyôgei.
  6. ^ #銘銘伝(2014)pp.181-182、長鯨(ちょうげい)
  7. ^ a b c d 『日本海軍史』第7巻pp.467-468、長鯨丸(初代)
  8. ^ a b 木津重俊(編)『日本郵船船舶100年史』28ページ
  9. ^ 世界の艦船』2007年9月号(No.679)p.116
  10. ^ #日本近世造船史明治(1973)p.132
  11. ^ 木津重俊(編)『日本郵船船舶100年史』29ページ、『七十年史』3ページ
  12. ^ a b 『七十年史』4ページ
  13. ^ a b c 木津重俊(編)『日本郵船船舶100年史』29ページ
  14. ^ 木津重俊(編)『日本郵船船舶100年史』29ページ、『七十年史』4-5ページ
  15. ^ 木津重俊(編)『日本郵船船舶100年史』29ページ、『七十年史』10ページ
  16. ^ 『日本海軍史』第7巻p.226
  17. ^ #M1-M9海軍省報告書画像9-10、明治二年己巳 軍務官 兵部省、7月。
  18. ^ 『日本海軍史』第9巻、86頁。

参考文献

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  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『記録材料・海軍省報告書第一』。Ref.A07062089000。 (国立公文書館)
    • 『海軍歴史 巻之23 船譜(1)』。Ref.C10123646500。 (勝海舟『海軍歴史』巻23。)
  • 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。 
  • 海軍有終会/編『近世帝国海軍史要(増補)』 明治百年史叢書 第227巻、原書房、1974年4月(原著1938年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5 
  • 木津重俊(編)『日本郵船船舶100年史』世界の艦船・別冊、海人社、1984年、ISBN 4-905551-19-6
  • 造船協会/編『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書 第205巻、原書房、1973年(原著1911年)。 
  • 日本郵船株式会社(編)『七十年史』日本郵船、1956年

関連項目

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