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長野栄二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長野 栄二
青島の降伏式にて、レミュエル・C・シェファード・ジュニア英語版少将と陳宝倉中国語版中将に軍刀を差し出す長野栄二
生誕 1892年1月28日
日本の旗 日本 兵庫県
死没 (1969-09-16) 1969年9月16日(77歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1913年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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長野 栄二(ながの えいじ、1892年明治25年)1月28日[1] - 1969年昭和44年)9月16日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]

経歴

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1892年(明治25年)に兵庫県で生まれた[1]陸軍士官学校第25期卒業[1]1939年(昭和14年)3月9日陸軍歩兵大佐進級と同時に第8国境守備隊第5地区隊長に着任[2]。同年7月7日歩兵第71連隊長(関東軍第6軍第23師団・第23歩兵団)に転じてノモンハン事件に出動したが[1][2]、ホルステン河南方での戦闘で重傷を負い[1][2]8月2日に関東軍司令部附となった[2]1941年(昭和16年)3月に歩兵第217連隊長(第11軍第34師団・第34歩兵団)に就任し[1][2]日中戦争に出動[1]南昌に駐屯し[1]錦江作戦などに出撃した[1]

1943年(昭和18年)8月2日に陸軍少将進級と同時に第4歩兵団長(第4師団)に就任し[1][2]10月1日に第64独立歩兵団長に転じた[1]1944年(昭和19年)1月10日に第11警備司令官(中部軍)を経て[1][2]7月14日に独立混成第5旅団長(支那派遣軍北支那方面軍第43軍)に就任[1]青島で守備に任じ終戦を迎えた[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 福川 2001, 523頁.
  2. ^ a b c d e f g h 外山 1981, 341頁.
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」106頁。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026