長野栄二
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長野 栄二 | |
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青島の降伏式にて、レミュエル・C・シェファード・ジュニア少将と陳宝倉中将に軍刀を差し出す長野栄二 | |
生誕 |
1892年1月28日 日本 兵庫県 |
死没 | 1969年9月16日(77歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1913年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
長野 栄二(ながの えいじ、1892年(明治25年)1月28日[1] - 1969年(昭和44年)9月16日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴
[編集]1892年(明治25年)に兵庫県で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期卒業[1]。1939年(昭和14年)3月9日に陸軍歩兵大佐進級と同時に第8国境守備隊第5地区隊長に着任[2]。同年7月7日に歩兵第71連隊長(関東軍・第6軍・第23師団・第23歩兵団)に転じてノモンハン事件に出動したが[1][2]、ホルステン河南方での戦闘で重傷を負い[1][2]、8月2日に関東軍司令部附となった[2]。1941年(昭和16年)3月に歩兵第217連隊長(第11軍・第34師団・第34歩兵団)に就任し[1][2]、日中戦争に出動[1]。南昌に駐屯し[1]、錦江作戦などに出撃した[1]。
1943年(昭和18年)8月2日に陸軍少将進級と同時に第4歩兵団長(第4師団)に就任し[1][2]、10月1日に第64独立歩兵団長に転じた[1]。1944年(昭和19年)1月10日に第11警備司令官(中部軍)を経て[1][2]、7月14日に独立混成第5旅団長(支那派遣軍・北支那方面軍・第43軍)に就任[1]。青島で守備に任じ終戦を迎えた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。