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長良北町駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長良駅から転送)
長良北町駅
晩年の長良北町駅(1987年)
右側の白線内が乗降場所
ながらきたまち
NAGARAKITAMACHI
所在地 岐阜県岐阜市長良
所属事業者 名古屋鉄道
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1913年大正2年)12月15日
廃止年月日 1988年昭和63年)6月1日
乗入路線 2 路線
所属路線 岐阜市内線
キロ程 4.8 km(岐阜駅前起点)
鵜飼屋 (0.4 km)
所属路線 高富線
キロ程 0.0 km(長良北町起点)
(1.3 km) 高見
備考 高富線は1960年(昭和35年)4月22日に廃止。
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長良北町駅(ながらきたまちえき)は、岐阜県岐阜市長良にあった、名古屋鉄道路面電車停留場である。岐阜市内線本線(長良線[1])と高富線の2路線が接続していた。

歴史

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当駅には1960年まで岐阜市内線と高富線の2路線が乗り入れていたが、そのうち先に開業したのは高富線の駅である。高富線は長良軽便鉄道の路線として1913年に当駅から高富駅までが一度に開通[2]、開業当初は他の鉄道と接続していない孤立路線であった。開業時の駅名は長良駅(ながらえき)で、長良北町駅に改称するのは1947年ころとされる[3]。一方岐阜市内線は美濃電気軌道の路線として岐阜駅前駅から順次路線が通じ、高富線開業より2年経過した1915年に岐阜市街から長良川を越えて当地まで延伸されてきた[2]。このときに岐阜市内線の長良北町駅は開業[注 1]、両路線は接続し、間もなく直通運転を開始した。その後1920年に長良軽便鉄道は美濃電気軌道に合併、その美濃電気軌道も1930年には名古屋鉄道に合併された。

戦後、長良橋が架け替えられると長良川の南岸から当駅までの岐阜市内線は複線化を果たした[2]。一方、高富線は路線と車両の改良もなされないままで輸送能力は貧弱であり、結局1960年に廃止のうえ路線バスへ転換された[2][4]。高富線を失うと岐阜市内線の徹明町駅から当駅までの区間は単なる枝線になってしまい[5]、業績の不振が続いていた同区間は市内交通の妨げにもなることから次いで1988年に廃止された[6]。これに伴い当駅は廃駅となった。

  • 1913年(大正2年)12月25日 - 長良軽便鉄道の当駅 - 高富駅間の開通と同時に長良駅として開業[3][7]
  • 1915年(大正4年)11月20日 - 美濃電気軌道市内線が長良橋駅から延伸し、市内線の駅が長良北町駅として開業[3][注 1]。長良軽便鉄道と美濃電気軌道市内線が接続され、11月26日より両線で直通運転開始[3]
  • 1920年(大正9年)9月10日 - 長良軽便鉄道は美濃電気軌道へ合併[3]。長良軽便鉄道は高富線となる。
  • 1922年(大正11年)5月26日 - 旧笠松駅の駅舎が当駅へ移築される[3]
  • 1930年(昭和5年)8月20日 - 美濃電気軌道が名古屋鉄道(初代。同年中に名岐鉄道に改称し、1935年より名古屋鉄道に再改称)に合併。同社の岐阜市内線および高富線の駅となる[3]
  • 1947年(昭和22年)4月30日以前 - 高富線の駅が長良北町駅に改称(詳細な時期は不明)[3]
  • 1957年(昭和32年)3月31日 - 岐阜市内線の長良橋駅 - 当駅間の複線化が完了(1956年長良橋架け替え完成による)[3]
  • 1960年(昭和35年)4月22日 - 高富線廃止[3]
  • 1973年(昭和48年) - 鵜飼屋駅から当駅までの線路が、道路東側から道路中央に移設。当駅は道路中央の停留場となる。
  • 1988年(昭和63年)6月1日 - 岐阜市内線の徹明町駅 - 当駅間の廃止により廃駅[3]

駅構造

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晩年の状況は、単式1面1線の乗り場であった。併用軌道のため乗り場は道路上に設けられていたが、安全地帯はなく、道路に白線で枠がペイントされていたのみであった。

高富線が廃止される前は、道路の東側に相対式2面2線の乗り場が設けられ、駅舎も設置されていた。

配線図

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長良北町駅 構内配線略図
長良北町駅 構内配線略図
徹明町方面
凡例
出典:[8]


隣の駅

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名古屋鉄道
岐阜市内線
鵜飼屋駅 - 長良北町駅
高富線
長良北町駅 - 高見駅
  • 1922年までは高富線の高見駅との間に北町駅(きたまちえき)が存在した[9]

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 岐阜市内線の駅は開業当初より長良北町駅と称したとされるため、高富線の駅が改称されるまでは路線間で駅名が食い違っていたことになるが、詳細は不明。

出典

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  1. ^ 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、31頁。ISBN 4-87670-097-4 
  2. ^ a b c d 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、20-25頁。ISBN 4-87670-097-4 
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、218-230頁。ISBN 4-87670-097-4 
  4. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、285-285頁。 
  5. ^ 川島令三全国鉄道事情大研究』 名古屋北部・岐阜篇 1、草思社、1997年、126頁。ISBN 4-7942-0796-4 
  6. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、571頁。 
  7. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年1月12日(国立国会図書館デジタル化資料)
  8. ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第473号 1986年12月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、付図「名古屋鉄道路線略図」
  9. ^ 日本鉄道旅行地図帳 追加・訂補一覧 7号 東海”. 鉄道フォーラム. 2016年6月11日閲覧。

関連項目

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