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長幡忠夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長幡 忠夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県西宮市津門稲荷町
生年月日 (1942-08-18) 1942年8月18日(82歳)
身長
体重
174 cm
66 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1961年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

長幡 忠夫(ながはた ただお、1942年8月18日 - )は兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手外野手)。

来歴・人物

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兵庫県立尼崎高等学校では1959年、2年生の時に春の甲子園に出場。大会第2号となる本塁打を打ち、チームは準決勝に進むが、優勝した中京商に敗退[1]。翌1960年春季近畿大会でも決勝で宮津高を降し優勝するが、夏は県予選準々決勝で土井正三のいた育英高に敗れ、甲子園には出場できなかった。高校同期に合田栄蔵、高校1年上に児玉禎彦がいる。

1960年11月7日阪神タイガースに入団。しかし一軍公式戦出場がないまま、1962年限りで引退した。

詳細情報

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年度別打撃成績

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  • 一軍公式戦出場なし

背番号

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  • 57 (1961年 - 1962年)

脚注

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  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年

関連項目

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