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長崎市立戸石小学校

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長崎市立戸石小学校
地図北緯32度46分8.681秒 東経129度58分42.809秒 / 北緯32.76907806度 東経129.97855806度 / 32.76907806; 129.97855806座標: 北緯32度46分8.681秒 東経129度58分42.809秒 / 北緯32.76907806度 東経129.97855806度 / 32.76907806; 129.97855806
過去の名称 戸石村公立戸石小学校
公立中等戸石小学校
戸石学区公立中等戸石小学校
尋常戸石小学校
戸石尋常小学校
戸石尋常高等小学校
戸石村国民学校
戸石村立戸石小学校
東長崎町立戸石小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 長崎市
設立年月日 1873年(明治6年)
5月15日
創立者 田中謙輔
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210000331 ウィキデータを編集
所在地 851-0113
長崎県長崎市戸石町1281番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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長崎市立戸石小学校(ながさきしりつ といししょうがっこう、Nagasaki City Toishi Elementary School)は、長崎県長崎市戸石町にある公立小学校長崎市内の小学校の中で最も早い創立である。

概要

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歴史
1873年明治6年)に開校。2013年平成25年)に創立140周年を迎えた。
校歌
1965年(昭和40年)5月15日制定。作詞は寺井俊子、作曲は柴原秀夫による。3番まであり、各番とも校名の「戸石小」で終わる。
分校
1891年(明治24年)5月 牧島分校を設立。(教師1名、児童20名)
1968年 (昭和43年)3月23日 牧島分校廃校式(本校に統合される)
校区
上戸石町、川内町、戸石町、牧島町
中学校区は長崎市立橘中学校[1]

沿革

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  • 1873年(明治6年)- 学制により寺子屋を廃止し、戸石村里名尾崎に「戸石村公立戸石小学校」が開校。当初の児童数は約50名。
  • 1874年(明治7年)- 大風で学校が倒壊したため、分散授業を実施。
  • 1975年(明治8年)- 里名宝瑞庵で合同授業を実施。
  • 1978年(明治11年)- 火事により校舎を消失したため、戸石神社を校舎とする。
  • 1980年(明治13年)- 「公立中等戸石小学校」と改称。
  • 1985年(明治18年)- 「戸石学区[2]公立中等戸石小学校」と改称。
  • 1886年(明治19年)- 小学校令により、「尋常戸石小学校」と改称。校舎を現・戸石橋あたりに新築し、移転。児童数は86名。
  • 1891年(明治24年)- 牧島分教場を設置。
  • 1892年(明治25年)- 「戸石尋常小学校」と改称。
  • 1901年(明治34年)- 児童数の増加により、戸石神社に分教場を開設し、4年生の授業を行う。
  • 1903年(明治36年)7月15日 - 現敷地に平屋建ての新校舎が完成し、移転。
  • 1907年(明治40年)4月 - 高等科を併置し、「戸石尋常高等小学校」と改称。
  • 1911年(明治44年)- 東側に2階建て校舎を増築。
  • 1918年大正7年)- 校舎を増築。
  • 1923年(大正12年)- 運動場を拡張。
  • 1925年(大正14年)- 西側に校舎を増築。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「戸石村国民学校」と改称。尋常科を初等科に改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
    • 旧・戸石国民学校の初等科を改組し、「戸石村立戸石小学校」とする。
    • 旧・戸石国民学校の高等科を改組し、戸石村立戸石中学校(新制中学校)とし、小学校に併設。牧島分教場を牧島分校とする。
  • 1955年(昭和30年)2月11日 - 東長崎町[3]の発足に伴い、「東長崎町立戸石小学校」と改称。
  • 1962年(昭和37年)- 校旗を制定。鼓笛隊を編成。
  • 1963年(昭和38年)4月20日 - 長崎市への編入に伴い、「長崎市立戸石小学校」(現校名)に改称。
  • 1965年(昭和40年)- 創立記念日を5月15日に制定。校歌を制定。
  • 1967年(昭和42年) - 給食室が完成。
  • 1968年(昭和43年)
    • この年 - 完全給食を実施。
    • 3月31日 - 牧島分校を廃止。
  • 1973年(昭和48年)10月14日 - 創立100年周年記念式典を挙行。
  • 1980年(昭和55年)
    • 4月 - 学校編成14学級となる。
    • この年 - プールが完成。
  • 1981年(昭和56年)5月15日 - 体育館が完成。
  • 1982年(昭和57年)- 国旗掲揚台を設置。
  • 1996年(平成8年)4月1日 - 特殊学級(現・特別支援学級)を設置。
  • 2005年(平成17年)- 校舎裏庭にインターロッキングブロック敷設工事を実施。中華人民共和国の旗上海紅十字団訪問団と交流会を実施。
  • 2006年(平成18年)
    • 給食室を解体し、長崎市立橘小学校との親子給食[4]を開始。 
    • 新校舎(図工室・生活科室・図書室・相談室・資料室・給食配膳室)が完成。
  • 2013年 (平成25年) - 創立140周年を迎え、記念式典を執り行う。
  • 2023年(令和5年)-創立150周年を迎え、上空写真を撮り、記念式典を執り行う。

学校行事

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  • 運動会は毎年5月に行われている。

アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの国道・県道

周辺

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脚注

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  1. ^ 長崎市立小・中学校 校区一覧(PDF) - 長崎市教育委員会ウェブサイト
  2. ^ 江ノ浦村・田結村・戸石村・古賀村の4ヶ村組合。
  3. ^ 西彼杵郡矢上村、戸石村、古賀村の3村合併。
  4. ^ 調理場を持つ自校方式の学校が、調理場を持たない学校の給食調理も行う方式。自校方式とセンター方式の中間形態。調理場を持つ方が「親」、調理場を持たない方が「子」となり、一般に距離の近い学校同士で行われる。橘小学校が親で、戸石小学校が子となる。

参考文献

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関連事項

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外部リンク

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