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長崎市立川原小学校

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長崎市立川原小学校
地図北緯32度37分33.5秒 東経129度50分1.8秒 / 北緯32.625972度 東経129.833833度 / 32.625972; 129.833833座標: 北緯32度37分33.5秒 東経129度50分1.8秒 / 北緯32.625972度 東経129.833833度 / 32.625972; 129.833833
過去の名称 第五大学区第二中学区川原小学校
公立下等川原小学校
簡易川原小学校
川原尋常小学校
川原尋常高等小学校
川原村国民学校
川原村立川原小学校
三和町立川原小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 長崎市
設立年月日 1875年(明治8年)3月
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210001250 ウィキデータを編集
所在地 851-0408
長崎県長崎市宮崎町127番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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長崎市立川原小学校(ながさきしりつ かわらしょうがっこう、Nagasaki City Kawara Elementary School)は、長崎県長崎市宮崎町にある公立小学校。略称は「川原小」(かわらしょう)・「川小」(かわしょう)。

概要

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歴史
1875年明治8年)に開校した「第五大学区第二中学区川原小学校」を前身とする。2010年平成22年)に創立135周年を迎えた。
学校教育目標
「温かい子ども・強い子ども・学ぶ子ども」
校章
中央に校名の「川小」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
作詞は武田源太郎、作曲は深町一郎による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「川原小学校」が登場する。
校区
長崎市立三和中学校校区[1]

沿革

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  • 1875年(明治8年)
    • 3月 - 柳渓寺を仮教場として「第五大学区第二中学区川原小学校」が開校。
    • 秋 - 住吉神社に移転。
    • 冬 - 旧庄屋森一邸に移転(児童数30名)。
  • 1882年(明治15年)
    • 4月 - 教育令の施行により、「公立下等川原小学校」と改称。
    • 5月 - 字中の堂の村山保邸に移転。
  • 1884年(明治17年)4月 - 宮崎1885(木場郷)に分教場を設置(児童数約10名)。
  • 1886年(明治19年)4月1日 - 小学校令の施行により、「簡易川原小学校」(3年制)と改称。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、川原村立の小学校となる。
  • 1893年(明治26年)
    • 3月 - 小学校令の改正により、「川原尋常小学校」(4年制)に改称。
    • 7月 - 補習科(2年制)を設置(尋常科4年修了後の児童を対象とした)。
  • 1898年(明治31年)3月 - 木場分教場を廃止。
  • 1904年(明治37年)
    • 5月 - 現在地に新校舎が完成。
    • 6月11日 - 新校舎に移転完了。
  • 1905年(明治38年)4月 - 補習科を廃止。その代わりに修業年限4ヶ年の高等科を併置し、「川原尋常高等小学校」(尋常科4年・高等科4年)と改称。
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 小学校令の一部改正により、義務教育期間が4年から6年に延長されたため、尋常科を6年制、高等科を3年制に改正。
  • 1937年(昭和12年)1月 - 2教室を増築。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、 「川原村国民学校」と改称。 尋常科を初等科に改称(初等科6年・高等科2年)。
  • 1943年(昭和18年)4月 - 運動場を拡張。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 旧・川原村国民学校の初等科が改組され、「川原村立川原小学校」が発足。
    • 旧・川原村国民学校の高等科が改組され、川原村立川原中学校(新制中学校)が発足。当面の間、小学校に併設されることとなる。
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 蚊焼中学校が統合[2]により廃止される。新設中学校[2]の校舎が完成するまでの間、川原校舎として使用を継続。
  • 1950年(昭和25年)6月 - 新設中学校[2]の校舎が為石地区に完成し、中学校による川原校舎の使用が終了。併設を解消。
  • 1955年(昭和30年)2月11日 - 蚊焼村・川原村・為石村の3村合併で三和町が発足したことにより、「三和町立川原小学校」と改称。
  • 1961年(昭和36年)
    • 2月 - 運動場を拡張。
    • 4月 - 新校舎を増築。
  • 1962年(昭和37年)10月 - ミルク補食給食を開始。
  • 1968年(昭和43年)5月 - 完全給食を実施。
  • 1969年(昭和44年)9月 - 運動場を拡張。
  • 1974年(昭和49年)3月 - 体育館が完成。
  • 1976年(昭和51年)3月 - 新校舎が完成。
  • 1982年(昭和57年)
  • 1983年(昭和58年)10月 - 運動場に夜間照明を設置。
  • 1984年(昭和59年)12月 - 川原交通少年団を結成。
  • 1989年(平成元年)7月 - プールが完成。
  • 2005年(平成17年)1月4日 - 三和町が長崎市に編入されたことにより、「長崎市立川原小学校」(現校名)に改称。

アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの道路

周辺

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  • 川原大池・川原大池公園
  • 川原海水浴場

脚注

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  1. ^ 長崎市 市立小・中学校校区(PDF) - 長崎市役所ウェブサイト
  2. ^ a b c 川原村立川原中学校(川原小学校に併設)・為石村立為石中学校(為石小学校に併設)・蚊焼村立蚊焼中学校(蚊焼小学校に併設)の3校が統合され、「川原・為石・蚊焼三村組合立岳南中学校」が発足した。1955年(昭和30年)の山村合併により、「三和町立三和中学校」に改称。現長崎市立三和中学校

参考文献

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  • 「三和町郷土誌」(三和町, 1986年(昭和61年)1月)

関連項目

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外部リンク

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