長坂重孝
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長坂 重孝(ながさか しげたか、1849年1月14日(嘉永元年12月20日[1]) - 1912年(明治45年)7月8日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。
経歴
[編集]西端藩江戸藩邸で生まれる[1]。漢学を修め、1870年、西端藩史生試補となり[1]、廃藩置県により額田県出仕となる[1]。愛知県勤務を経て、幡豆郡長から知多郡長、地方衛生会委員となる[1]。
1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において愛知7区から自由党公認で立候補して初当選する[3]。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党公認で立候補して再選を果たした[4]。衆議院議員を2期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙では立憲政友会公認で立候補して落選した[5]。
このほか、太陽生命保険、加富登麦酒各(株)常務取締役を務めた[2]。1912年に死去した。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。