長光寺 (稲沢市)
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長光寺 | |
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地蔵堂(六角堂) | |
所在地 | 愛知県稲沢市六角堂東町3-2-8 |
位置 | 北緯35度13分59.8秒 東経136度49分52.7秒 / 北緯35.233278度 東経136.831306度座標: 北緯35度13分59.8秒 東経136度49分52.7秒 / 北緯35.233278度 東経136.831306度 |
山号 | 興化山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
創建年 | (伝)仁寿元年(851年) |
開基 | (伝)小野篁 |
中興年 | 延元三年(1338年) |
中興 | 足利尊氏 |
文化財 |
地蔵堂、鉄造地蔵菩薩立像(重要文化財) 銅造鰐口(県文化財)ほか |
法人番号 | 1180005010612 |
長光寺(ちょうこうじ)は、愛知県稲沢市にある臨済宗妙心寺派の寺院。
歴史
[編集]仁寿元年(851年)小野篁が陸奥の国に下る途中、この辺りに駐杖した際、路傍に地蔵像を安置したのが始まりと伝わる[1]。1161年、尾張守であった平頼盛が病気平癒のお礼に六角堂を寄進した[1]。1336年、足利尊氏が戦のため上洛する際に太刀を奉納して武運を祈願し、勝利したお礼に六角堂を祈願所として定めた[1]。1338年に尊氏が将軍宣下を受けると、山門などを奉納して再興している[1]。その後、織田氏・徳川家康・尾張徳川家によって庇護された[1]。
逸話
[編集]若かりし日の織田信長の遊び場であり、六角堂で後に清洲城城代となる埴原常安と出会っている[2]。境内奥には、信長愛飲の臥松水と呼ばれる井戸があり、茶の湯や膳にその水を汲んだと伝わる[3]。
文化財
[編集]重要文化財
[編集]愛知県指定文化財
[編集]- 銅造鰐口 - 南北朝時代
稲沢市指定文化財
[編集]被害
[編集]2023年(令和5年)5月末、稲沢市指定文化財の楼門の柵が倒され、仁王像の腕が折れているのが発見された[4]。仁王像では足元に置かれたさい銭が盗まれる被害が続いており、像の損壊との関連も指摘され、同年7月末に稲沢警察署に被害届を提出した[4]。
ギャラリー
[編集]所在地
[編集]- 愛知県稲沢市六角堂東町3-2-8
出典
[編集]- ^ a b c d e “尾張六角堂の凄い由緒と歴史”. 草川平次郎. 2015年5月16日閲覧。
- ^ “あの戦国の現場へ行こう”. 愛知戦国史跡ナビゲーター・みかわのひで. 2015年5月16日閲覧。
- ^ “観るなび”. 日本観光振興協会. 2015年5月16日閲覧。
- ^ a b “【独自】さい銭盗が仁王像の腕折る? 国重文も所有する稲沢・長光寺が被害”. 中日新聞. 2023年8月8日閲覧。