鏡岩濱之助
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浮世絵に描かれた鏡岩の取り組み | ||||
基礎情報 | ||||
四股名 | 鏡岩 濱之助 | |||
本名 | 加藤 助市 | |||
生年月日 | 1769年 | |||
没年月日 | 1829年9月8日(文政12年8月11日) | |||
出身 |
美濃国羽栗郡(現:岐阜県羽島郡笠松町) 出生地は近江国(現:滋賀県) | |||
所属部屋 | 伊勢ノ海(伊勢)→小野川部屋(大坂)→雷部屋(江戸) | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 小結 | |||
幕内戦歴 | 85勝38敗8分2預13無32休(19場所) | |||
データ | ||||
初土俵 | 1794年11月場所(二段目付出) | |||
入幕 | 1801年11月場所 | |||
引退 | 1815年11月場所 | |||
備考 | ||||
2014年9月1日現在 |
鏡岩 濱之助(かがみいわ はまのすけ、1769年(明和6年) - 1829年9月8日(文政12年8月11日)は、美濃国羽栗郡(現:岐阜県羽島郡笠松町、出生地は近江国(現:滋賀県))出身の大相撲力士。本名は加藤 助市。鏡岩源之助は実子にあたる。
来歴
[編集]1769年に近江国(現:滋賀県))で生まれる。伊勢相撲の伊勢ノ海部屋から小野川部屋(大坂相撲)へ加入したが、のちに雷部屋(江戸相撲)へ加入、1794年11月場所にて二段目付出で初土俵を踏んだ。1801年11月場所で新入幕を果たし、1802年11月場所からは徳島藩の抱え力士となった。
1808年10月場所4日目、前頭8枚目の番付にいた鏡岩は、雷電爲右エ門を破る大殊勲の星を挙げた。1815年11月場所を最後に現役を引退し、引退後は郷里に戻って美濃相撲の勧進元となり、年寄・鏡岩を襲名した。1829年9月8日(旧暦8月11日)に死去。
主な成績
[編集]- 通算幕内成績:85勝38敗2預13無32休
- 幕内在位:19場所
改名歴
[編集]- 鏡岩 助市(かがみいわ すけいち):1794年11月場所
- 鏡岩 濱之助( - はまのすけ):1795年3月場所 - 1815年11月場所(引退)