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鎌倉幕府の執権一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鎌倉将軍執権一覧から転送)

鎌倉幕府の執権一覧(かまくらばくふのしっけんいちらん)は、鎌倉幕府における執権の一覧。

執権職は北条氏が独占し、世襲した。当初から大きな勢力を持っていたが、3代将軍源実朝暗殺後はほとんど幕府の実権を掌握し、政務を執った。しかしながら将軍職は公家皇族から迎える形で名目的存在としてあり、北条氏は形式的服従を貫いていた。 →鎌倉将軍一覧参照。

北条氏の嫡流は「得宗家」と称され、得宗家の当主またはその後継者が幼少の時には北条氏の庶流から執権が任じられた。鎌倉時代中期以降は、執権を退いた得宗家や内管領などの台頭により、執権職は形骸化することが多くなった。元弘の乱の最終段階(鎌倉の戦い東勝寺合戦)において、13代基時・14代高時(得宗家)・15代貞顕・16代守時の4名の執権(及び経験者)が鎌倉幕府とともに滅ぼされることになった。また、北条貞将が守時の死を受けて、鎌倉陥落の際に17代執権に任じられたとする説がある[1]

一覧

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氏名 肖像 官位 在職 期間 享年 出身家・備考
1 ほうじょう ときまさ
北条時政
 
05-12/従五位下
遠江守
01-/

建仁3年(1203年)9月
 - 元久2年(1205年)閏7月

01年 11か月 78 北条氏
2 ほうじょう よしとき
北条義時
 
04-12/従四位下
右京権大夫
02-/

元久2年(1205年)閏7月[2]
 - 貞応3年(1224年)6月13日

18年 11か月 62 北条氏(得宗家祖)
3 ほうじょう やすとき
北条泰時
 
04-02/正四位下
左京権大夫
03-/

貞応3年(1224年)6月28日[3]
 - 仁治3年(1242年)6月15日

18年 60 得宗家
4 ほうじょう つねとき
北条経時
 
05-02/正五位下
武蔵守
04-/

仁治3年(1242年)6月16日
 - 寛元4年(1246年)3月23日

03年 9か月 23 得宗家
5 ほうじょう ときより
北条時頼
 
05-02/正五位下
相模守
05-/

寛元4年(1246年)3月23日
 - 康元元年(1256年)11月22日

10年 8か月 37 得宗家
6 ほうじょう ながとき
北条長時
 
05-11/従五位上
武蔵守
06-/

康元元年(1256年)11月22日
 - 文永元年(1264年)7月3日

07年 7か月 35 極楽寺流赤橋流祖)
7 ほうじょう まさむら
北条政村
 
04-02/正四位下
左京権大夫
07-/

文永元年(1264年)8月11日
 - 文永5年(1268年)3月5日

03年 7か月 69 得宗家(政村流祖)
8 ほうじょう ときむね
北条時宗
 
05-02/正五位下
相模守
08-/

文永5年(1268年)3月5日
 - 弘安7年(1284年)4月4日

16年 1か月 34 得宗家
9 ほうじょう さだとき
北条貞時
 
04-11/従四位上
相模守
09-/

弘安7年(1284年)7月7日
 - 正安3年(1301年)8月22日

17年 1か月 40 得宗家
10 ほうじょう もろとき
北条師時
 
05-12/従四位下
相模守
10-/

正安3年(1301年)8月22日
 - 応長元年(1311年)9月21日

10年 1か月 37 宗政流
11 ほうじょう むねのぶ
北条宗宣
 
04-12/従四位下
陸奥守
11-/

応長元年(1311年)10月3日
 - 応長2年(1312年)5月29日

00年 8か月 54 大仏流
12 ほうじょう ひろとき
北条煕時
 
正五位下
相模守
12-/

応長2年(1312年)6月2日
 - 正和4年(1315年)7月12日

03年 1か月 37 政村流
13 ほうじょう もととき
北条基時
 
05-12/正五位下
相模守
13-/

正和4年(1315年)7月12日
 - 正和5年(1316年)7月9日

01年 48 普恩寺流
14 ほうじょう たかとき
北条高時
 
04-12/従四位下
修理権大夫
14-/

正和5年(1316年)7月10日
 - 正中3年(1326年)2月13日

09年 7か月 31 得宗家
15 ほうじょう さだあき
北条貞顕
 
05-01/従四位上
修理権大夫
15-/

正中3年(1326年)3月16日
 - 同3月26日

00011日間 56 金沢流
16 ほうじょう もりとき
北条守時
 
04-12/従四位上
相模守
16-/

嘉暦元年(1326年)4月24日
 - 元弘3年(1333年)5月18日

07年 1か月 39 赤橋流
17? ほうじょう さだゆき
北条貞将
 
04-12/従五位下
武蔵守
16-/

元弘3年(1333年5月22日?

01日? 32 金沢流

脚注

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  1. ^ 「歴史読本」新人物往来社 2011年10月号 97頁~98頁、『鎌倉将軍・執権・連署列伝』P.197-198(「金沢貞将」の項、執筆:細川重男)。
  2. ^ 承元3年(1209年)就任説もある(岡田清一「執権制の成立と建保合戦」(『中世日本の諸相 下巻』吉川弘文館、1989年 および『鎌倉幕府と東国』続群書類従完成会、2006年))。
  3. ^ 鎌倉散歩2:12回・鎌倉秋映”. www.geocities.jp. 2018年7月7日閲覧。

関連項目

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