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錦小路在明

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錦小路在明

錦小路 在明(にしきのこうじ ありあき、1869年8月16日明治2年7月9日〉 - 1911年〈明治44年〉11月24日)は、明治期の華族官位従五位爵位子爵

経歴

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山城国京都式部大輔唐橋在光の四男として生まれる。唐橋在正の弟。東京美術学校(現:東京芸術大学)卒業。明治維新以降、子爵に叙せられた[1]

1897年、群馬県尋常中学校教諭に就任。1898年、叔父・錦小路賴言の次女益子の入夫、錦小路家の養子となる。同じ年、賴言の死去に伴い、家督を相続する。1899年、東宮職御用掛となる。1900年、東宮主事に就任[2]

1911年11月24日死去。43歳没[3]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d 『平成新修旧華族家系大成』下巻、259頁
  2. ^ a b 『人事興信録』初版 、170頁。
  3. ^ a b 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “錦小路在明(にしきのこうじ ありあき)とは”. コトバンク. 2021年4月25日閲覧。

参考文献

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  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 人事興信所編『人事興信録』初版、1904年。
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
錦小路家初代
1898年 - 1912年
次代
錦小路頼孝