鈴江泰造
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鈴江 泰造[1](すずえ たいぞう[1]、1848年(嘉永元年2月)[2] - 1906年(明治39年)2月11日[2])は、日本の政治家(衆議院議員、島根県第2区選出、当選1回)[2]、島根県の大地主[1]。
人物
[編集]出雲国飯石郡(現島根県)生まれ[2]。村長、県会議員に挙げられる[2]。1894年、第4回衆議院議員総選挙で島根県第2区より選ばれて衆議院議員となる。実業同志倶楽部[2]、大手倶楽部[3]に所属。
地方殖産、特に養蚕業、茶業の作興に尽瘁する[2]。住所は島根県飯石郡飯石村[2]。子の鈴江言一は社会運動家、中国革命史研究者。
脚注
[編集]- ^ a b c 『日本現今人名辞典』す8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年4月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』452頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年4月19日閲覧。
- ^ 『衆議院議員党籍録 第一囘議会乃至第四十囘議会』31頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年1月13日閲覧。
参考文献
[編集]- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1900年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員党籍録 第一囘議会乃至第四十囘議会』衆議院事務局、1918年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。