鈴木與平 (7代目)
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鈴木 與平(すずき よへい、1910年(明治43年)5月11日[1] - 1993年(平成5年)5月23日[2])は、日本の実業家。元鈴与会長。旧名 鈴木一郎。
人物・経歴
[編集]静岡県出身[1]。鈴与商店社長で貴族院議員、6代目鈴木與平の長男として生まれる[3]。静岡県立静岡中学校に学ぶ[4]。1935年(昭和10年)、京都大学経済学部卒業[3][1]。山下汽船入社。1937年(昭和12年)4月、鈴与商店に転じ、1940年(昭和15年)5月、鈴与商店並びに鈴与倉庫、清水食品各社長に就任。同年8月、静岡鉄道監査役に選ばれ、次いで取締役となる。1944年(昭和19年)、鈴与社長。1946年(昭和21年)、清水商工会議所会頭。
1959年(昭和34年)8月、日本生産性本部港湾経営視察団員として渡米。1968年(昭和43年)、静岡県社会福祉協議会会長[5]。1969年(昭和44年)10月、清水ストックトン友好都市十周年公式訪問渡米、同月、静岡県貿振オーストラリア貿易施設団員として外遊、1971年(昭和46年)10月、同南米使節団として外遊。
1975年(昭和50年)、鈴与会長。1978年(昭和53年)、清水港湾資料館(現・フェルケール博物館)設立、理事長に就任[5]。1986年(昭和61年)、勲三等に叙せられる。
1993年(平成5年)5月23日、急性心不全のため清水市立病院(現・静岡市立清水病院)で死去[2]。
戦後の混乱の中、事業の拡張に傾注した一方、公的な活動を通して地域に尽くした。清水市立病院の開設、市立清水小学校への特殊学校開設、福祉施設「宍原荘」の開所、など、福祉・教育・文化振興にも大きな役割を果たした。
栄典
[編集]- 紺綬褒章(昭和28年、及び昭和41年)
- 藍綬褒章(昭和44年)
- 勲三等旭日中綬章
家族
[編集]- 父:山崎通太郎(鈴木與平 (6代目))
- 母:影山まさ
- 妻:向坂明子(向坂均一[6]の三女)
- 長男:鈴木通弘(鈴木與平 (8代目))
- 長女:鈴木佐知子(東芝 田中範夫の妻)
- 二女:鈴木久美子(日本長期信用銀行 清水克真の妻)
- 三女:鈴木三重子(筑波大学名誉教授 亀田寿夫の妻)
- 四女:鈴木由利子(巴商会社長 岡本利彦の妻)
- 弟:鈴木辰衛[7](静甲社長)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『第34版人事興信録』人事興信所 1987.3