鈴木義隆
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鈴木 義隆(すずき よしたか、1869年7月2日(明治2年5月23日[1])- 1944年(昭和19年)12月31日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。
経歴
[編集]越後国頸城郡、のちの新潟県[2]中頸城郡代石村(大出口村、吉川村、吉川町代石[3]を経て現上越市吉川区代石)で、政治家鈴木昌司の長男として生まれる[3]。私塾で学ぶ。日清、日露の両戦役に参加。自由通信社取締役となる[2]。
1920年の第14回衆議院議員総選挙において新潟12区から立憲政友会公認で立候補して初当選[4]。1924年の第15回衆議院議員総選挙では政友本党公認で立候補したが落選[5]。1930年の第17回衆議院議員総選挙では新潟4区から立憲政友会公認で立候補したが落選[6]。1932年の第18回衆議院議員総選挙では無投票で当選した[7]。1936年の第19回衆議院議員総選挙で落選した[8]。1944年死去。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 牧野利平編『越佐人物誌 上巻』野島出版、1972年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。