鈴木義伸
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鈴木義伸 すずき よしのぶ | |
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生年月日 | 1896年2月29日 |
出生地 | 日本 香川県高松市 |
没年月日 | 1947年3月3日(51歳没) |
出身校 | 京都帝国大学法学部法律学科卒業 |
前職 | 高田商会社員 |
親族 | 父・鈴木幾次郎(高松市長) |
在任期間 | 1942年7月1日 - 1946年1月15日 |
第24代 高松市会議長 | |
在任期間 | 1934年3月 - 1938年3月 |
鈴木 義伸(すずき よしのぶ、1896年(明治29年)2月29日[1] - 1947年(昭和22年)3月3日[2])は、大正から昭和前期の実業家、政治家。高松市長。
経歴
[編集]香川県高松市古馬場町で「伏石屋」鈴木幾次郎の長男として生まれる[2][3]。高松中学校(現香川県立高松高等学校)、第三高等学校を経て、1920年(大正9年)7月、京都帝国大学法学部法律学科を卒業[1][2][3][4]。東京の高田商会に勤務した[1][3]。
1925年(大正14年)に帰郷し、高松市会議員に当選[3]。その後、市会議長(1934年(昭和9年)3月から1938年(昭和13年)3月まで[5])、四国水力電気高松出張所長を務めた[2][3]。
1942年(昭和17年)第21回衆議院議員総選挙において、翼賛政治体制協議会推薦で香川1区から立候補したが落選[6]。同年7月1日、高松市長に就任し、大政翼賛会香川県支部錬成部長、同顧問も務めた[1][2][3]。戦時下の対応、高松空襲被災者の救護、戦後の復興事業などに尽力したが、過労により体調を崩し、1946年(昭和21年)1月15日に市長を退任した。間もなく公職追放となり[7]、追放中の1947年(昭和22年)3月に死去した[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『香川県大百科事典』四国新聞社、1984年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。