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鈴木義伸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鈴木義伸
すずき よしのぶ
生年月日 1896年2月29日
出生地 日本の旗 日本 香川県高松市
没年月日 (1947-03-03) 1947年3月3日(51歳没)
出身校 京都帝国大学法学部法律学科卒業
前職 高田商会社員
親族 父・鈴木幾次郎(高松市長)

在任期間 1942年7月1日 - 1946年1月15日

第24代 高松市会議長
在任期間 1934年3月 - 1938年3月

高松市会議員
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鈴木 義伸(すずき よしのぶ、1896年明治29年)2月29日[1] - 1947年昭和22年)3月3日[2])は、大正から昭和前期の実業家政治家高松市長

経歴

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香川県高松市古馬場町で「伏石屋」鈴木幾次郎の長男として生まれる[2][3]。高松中学校(現香川県立高松高等学校)、第三高等学校を経て、1920年(大正9年)7月、京都帝国大学法学部法律学科を卒業[1][2][3][4]。東京の高田商会に勤務した[1][3]

1925年(大正14年)に帰郷し、高松市会議員に当選[3]。その後、市会議長(1934年(昭和9年)3月から1938年(昭和13年)3月まで[5])、四国水力電気高松出張所長を務めた[2][3]

1942年(昭和17年)第21回衆議院議員総選挙において、翼賛政治体制協議会推薦で香川1区から立候補したが落選[6]。同年7月1日、高松市長に就任し、大政翼賛会香川県支部錬成部長、同顧問も務めた[1][2][3]。戦時下の対応、高松空襲被災者の救護、戦後の復興事業などに尽力したが、過労により体調を崩し、1946年(昭和21年)1月15日に市長を退任した。間もなく公職追放となり[7]、追放中の1947年(昭和22年)3月に死去した[2]

親族

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  • 祖父 鈴木伝五郎(実業家・貴族院多額納税者議員)[3]
  • 母 鈴木ユキ(祖父の長女)[8]

脚注

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  1. ^ a b c d 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』香川6頁。
  2. ^ a b c d e f 『日本の歴代市長』第3巻、310頁。
  3. ^ a b c d e f g 『香川県大百科事典』531頁。
  4. ^ 『京都帝国大学一覧 自大正九年 至大正十一年』京都帝国大学、1921年、365頁。
  5. ^ 議会”. 高松市. 2023年12月3日閲覧。
  6. ^ 『朝日新聞』1942年5月3日4面。
  7. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、607頁。NDLJP:1276156 
  8. ^ 「鈴木幾次郎」『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年、す27頁。

参考文献

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  • 『香川県大百科事典』四国新聞社、1984年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。