鈴木たま
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鈴木 たま(すずき たま、1870年(明治3年) - 1958年(昭和33年)12月3日)は、日本の教育者。群馬県における女子教育の先駆者のひとり。明治裁縫学校創設者。名は多満子とも。
生涯
[編集]1870年(明治3年)、前橋に生まれる。
父の鈴木福次郎は前橋藩の祐筆であり、西南戦争には抜刀隊として従軍して田原坂の戦いで戦功を挙げた。母の名はトワ。
13歳のときに父、翌年に母を病で相次いで失う。川越の呉服屋に奉公した後、仙台の松操女学校(現・仙台大学附属明成高等学校)前橋分校を卒業。
1892年(明治25年)に松山出身の実業家・鈴木(土田)宗十郎と結婚。1896年(明治29年)に宗十郎を校主、たまを校長に前橋に上毛裁縫伝習所を開校。1904年(明治37年)には明治裁縫学校と改称する。当時、前橋には公立の女学校はなく、女子教育の先鞭をつけた。
明治裁縫学校は最盛期には本科、別科、研究科、師範科を備えてのべ5千人の卒業生を送り出した。
1955年(昭和30年)11月、たまは女子教育功労者として藍綬褒賞を受ける。群馬県人女性として初受賞となった。1958年(昭和33年)12月死去。87歳。
参考文献
[編集]- 大学婦人協会群馬支部(編)『近代群馬の女性たち』みやま文庫(40)、1971年