コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

釜石鉱山鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
釜石鉄道から転送)
釜石鉱山鉄道
鉄の歴史館にある機関車
概要
現況 廃止
所在地 岩手県
起終点 釜石
大橋
運営
開業 1880年
廃止 1965年(昭和40年)4月1日
路線諸元
路線総延長 16.0 km (9.9 mi)
軌間 762 mm
路線図
1934年の鉄道路線図
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
KHSTa
釜石
ABZgr
国鉄山田線
STR exKBHFa
0.0 釜石製鉄
STR exBHF
2.4 小佐野
HST exSTR
小佐野
STR exBHF
? 松倉
HST exSTR
松倉
STR exBHF
6.9 大畑
STR exBHF
9.0 洞泉
HST exSTR
洞泉
STRl xKRZu STR+r
exBHF STR
11.6 大松
exBHF STR
? 唄貝
STR+l xKRZu STRr
HST exSTR
陸中大橋
STR exKBHFe
16.0 大橋
STR uexKBHFa
STR
荷物運搬用索道
STR
国鉄:釜石線

釜石鉱山鉄道(かまいしこうざんてつどう、旧字体釜石鑛山鐵道󠄁)は、かつて岩手県釜石市の釜石 - 大橋間に存在した釜石鉱山から釜石製鉄所への鉱石を輸送するために用いられていた鉱山鉄道である。

日本で3番目の鉄道として開業したものの僅か3年で廃止され、その後馬車鉄道として復活し、後に蒸気運転に切り替えられ、何度も経営母体が変わってその過程で旅客を扱うようになり、さらには並行して国有鉄道釜石線が開業してその旅客扱いが廃止されるなど、複雑な経緯をたどっている。

路線データ

[編集]

1934年昭和9年)当時

起点の鈴子(釜石)より先の製鉄所内にも線路がはりめぐされ、さらに釜石港桟橋に向かう線路が敷設され、製品の出荷や石炭(北海道炭)、くず鉄雑貨など船荷の輸送に使用された。その総延長は57.0 km、分岐器数は520箇所、ダイヤモンドクロッシングは23箇所であった[1]

沿革

[編集]

工部省釜石鉄道

[編集]
  • 1880年明治13年)
    • 2月17日 工部省釜石鉄道として、釜石桟橋 - 大橋間18kmの本線と小佐野 - 小川山(わらびの)間4.9kmの支線、さらに工場への支線を含めた総延長26.3kmの鉱山専用鉄道試運転開始。
      ただし、この時点で本線はまだ終点の大橋には達しておらず、支線も全線竣工は1881年(明治14年)9月であった。
    • 9月7日 製鉄所・鉄道仮開業式(主賓の皇族が来釜しなかったため。式典自体は予定通り実施された)。
      新橋駅 - 横浜駅(現、桜木町駅)間鉄道、京都駅 - 神戸駅間鉄道に続く、日本で3番目に開業した鉄道である。軌間は838mm(2フィート9インチ)の特殊なものであったが、レールは16kg平底と丈夫なものを使用した。機関車は、英国シャープ・スチュアート社から輸入したサドルタンク式の3両を使用した。
  • 1882年(明治15年)
    • 3月1日 製鉄所燃料用の炭焼竈の大半が失火により焼失して製鉄所が休止。それに伴い、遊休施設となった釜石鉄道は一般開放され旅客運輸を開始[2]
    • 12月13日 大橋からの列車が雪のため停止ができずに唄貝に留置していた車両に衝突。死傷者を出す事故となった[3]
    • 12月 官営製鉄所の操業停止と鉱山閉山により、鉄道全廃。
      燃料となる木炭が不足したことと、代替燃料となるコークス使用の目処が立たなかったことが原因という。機関車2両と軌条は、大阪の阪堺鉄道(現、南海電気鉄道)へ売却された。このため、同鉄道も当初は838mm軌間となった。残りの1両はブレーキ故障による衝突事故のため運転台が大破していたため阪堺鉄道では引き取らず、のちに九州の三池港務所にわたり応急修理して使用された。

釜石鉱山馬車鉄道

[編集]
  • 1884年(明治17年) 政府御用商人の田中長兵衛と、その娘婿であった横山久太郎が鉱山再興に着手。
  • 1887年(明治20年) この前年、日本国内初の高炉による連続出銑に成功したのを踏まえ、7月に釜石鉱山田中製鉄所が設立される。
  • 1894年(明治27年) 製鉄所と大橋の鉱山を結ぶ釜石鉱山馬車鉄道が、釜石町 - 甲子村間に軌間762mmで開業(5月23日特許11月28日開業許可)[4][5]

蒸気鉄道化以後

[編集]

旅客列車運行概要

[編集]

1920年12月末

  • 混合列車2往復、貨物列車4往復[9]

1922年2月改正当時

  • 運行本数:鈴子 - 大橋間2往復
  • 所要時間:55-58分

1941年11月15日改正当時

  • 運行本数:釜石製鉄 - 大橋間5往復半
  • 所要時間:55-61分

駅一覧

[編集]
駅一覧(昭和9年)[10]
名称 駅間距離(km) 所在地 設置日 備考
釜石 釜石町釜石第十四地割 1911年11月3日[7] 開業時鈴子1930年12月1日釜石へ変更[11]、その後釜石製鉄[12]
小佐野 2.4 甲子村第十四地割 1922年4月1日[13]
大畑 4.5 甲子村第九地割 1911年11月3日[7]
洞泉 2.1 甲子村第五地割 1920年5月2日[14] 開業時貨物駅1927年に一般駅になる[15]
大松 2.6 甲子村第三地割 1911年12月24日[16]
大橋 4.4 甲子村第一地割 1911年11月3日[7]
  • 雑誌記事によれば戦後の専用鉄道時代に小佐野 - 大畑間に松倉、大松 - 大橋間に唄貝があるが[17]、戦前の地方鉄道時代には見当たらない[18]、なお鉄道省文書には大松大橋間、釜石起点13.410km付近に信号所新設という記録がある[19]
  • 釜石製鉄駅は現在の国道283号上に存在した。
  • 洞泉駅は、釜石線洞泉駅のやや南東にあり、駅の西側で釜石線が日鉄鉱業線を跨ぎ越していた。
  • 大橋駅手前でも釜石線と日鉄鉱業線が立体交差しており、大橋駅は停車駅型スイッチバック終着駅であった。

接続路線

[編集]
  • 釜石製鉄駅:山田線(釜石駅)

輸送・収支実績

[編集]
年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円)
1911 5,977 34,167 8,279 8,041 238
1912 41,622 213,607 53,382 52,547 835
1913 37,072 249,269 59,225 58,864 361
1914 40,077 202,046 53,022 51,273 1,749
1915 36,173 158,076 43,431 42,328 1,103
1916 56,840 198,870 68,085 59,061 9,024
1917 59,927 215,763 73,054 88,322 ▲ 15,268
1918 74,327 237,447 102,417 118,538 ▲ 16,121
1919 76,900 184,676 124,981 142,633 ▲ 17,652
1920 89,216 158,441 234,579 273,543 ▲ 38,964
1921 62,913 77,734 139,568 134,218 5,350
1922 58,585 68,793 142,700 134,247 8,453
1923 63,017 86,285 172,794 151,280 21,514
1924 65,109 88,287 178,408 156,119 22,289
1925 60,902 104,418 183,874 138,767 45,107 鉱山339,117
1926 59,874 134,225 217,480 152,902 64,578
1927 45,025 153,608 231,716 165,355 66,361
1928 40,829 154,748 244,374 182,500 61,874
1929 41,822 192,226 307,449 219,726 87,723 雑損2,049
1930 33,495 182,736 304,599 227,963 76,636
1931 24,804 140,786 216,566 145,830 70,736 償却金2,135
1932 19,254 165,502 219,973 122,333 97,640 財産価格償却益69,932 償却金69,907
1933 27,493 243,783 339,699 194,468 145,231
1934 46,734 332,103 318,519 108,392 210,127
1935 64,253 384,119 326,545 84,400 242,145
1936 75,057 447,252 383,037 102,001 281,036
1937 103,430 395,592 350,166 102,022 248,144
1939 257,145 346,545
1941 709,601 573,295
1943 1,002,011 1,236,654
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版

車両

[編集]

車両数の推移

[編集]
年度 機関車 客車 貨車
有蓋 無蓋
1911 3 2 3 104
1912 3 3 3 204
1913-1916 5 3 3 274
1917 5 4 3 334
1918 7 4 3 334
1919 9 4 9 661
1920 10 4 9 671
1921-1922 11 4 9 671
1923 10 4 9 671
1924 10 4 9 693
1925 10 4 9 262
1926 9 4 9 282
1927 9 5 9 282
1928 9 5 9 336
1929 9 5 6 348
1930 12 5 6 360
1931-1932 15 5 6 360
1933 17 5 6 360
1934-1937 5 5 6 71
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版

脚注

[編集]
  1. ^ 清野正衛「釜石製鉄所における構内輸送」『鉄鋼界』昭和35年6月号、73頁
  2. ^ 「陸中国釜石大橋間鉱山用鉄道落成に付人民へ乗車を許す件」『官令全誌 : 傍訓字解. 第1号』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 「釜石鉱山分局鉄道汽車衝突即死負傷人等ノ件」『 公文録・明治十五年・第百七十八巻・明治十五年十一月~十二月・工部省』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
  4. ^ 「馬車鉄道布設特許」『官報』1894年6月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 「馬車鉄道開業許可」『官報』1894年12月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1911年11月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ a b c d 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1911年11月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 「鉄道運輸営業廃止」『官報』1944年11月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 鉄道及軌道類別表第2編」 アジア歴史資料センター Ref.C07060355000 78-79頁
  10. ^ 『鉄道停車場一覧. 昭和9年12月15日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ No.45「同上駅名変更ノ件」『日鉄鉱業(元釜石鉱山)(三)・自昭和二年至昭和六年』356頁
  12. ^ 『時間表』昭和15年10月号(時刻表復刻版)
  13. ^ 「地方鉄道停留場設置」『官報』1922年4月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 「地方鉄道停車場設置」『官報』1920年7月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ No.1「洞泉停車場位置並工事方法変更ノ件」『日鉄鉱業(元釜石鉱山)(三)・自昭和二年至昭和六年』
  16. ^ 「私設鉄道停車場使用開始」『官報』1912年1月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ^ 馬場正夫「釜石製鉄所専用線を訪ねて」『鉄道ピクトリアル』No.170
  18. ^ 今尾 (2008) および鉄道省 (1937)
  19. ^ No.15「信号新設ノ件」『第一門・監督・三、地方鉄道・イ、免許・日鉄鉱業(元釜石鉄道)・昭和十六年~昭和十七年』

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]