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金竜淵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金竜淵
김용연
生年月日 1916年1月24日
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮咸鏡南道甲山郡
没年月日 (2008-03-19) 2008年3月19日(92歳没)
死没地 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
所属政党 朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党
称号 金日成勲章共和国二重英雄
第1級国旗勲章

当選回数 4回
在任期間 1967年11月 - 1972年12月
1982年2月 - 2008年3月19日
最高指導者 金日成1948年 - 1994年
金正日(1994年 - 2011年

その他の職歴
朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党中央委員会委員候補
1970年11月 - 不明)
朝鮮民主主義人民共和国の旗 平壌防御司令官
1977年10月 - 不明)
朝鮮民主主義人民共和国の旗 万景台革命学院院長
1990年5月 - 不明)
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金竜淵
各種表記
チョソングル 김용연
漢字 金龍淵、金龍延
発音 キム・リョンヨン
英語表記: Kim Ryong-yon
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金 竜淵(金 龍淵、キム・リョンヨン、朝鮮語: 김룡연1916年1月24日 - 2008年3月19日)は、朝鮮民主主義人民共和国軍人政治家朝鮮労働党中央委員会委員候補、平壌防御司令官万景台革命学院院長などを歴任。朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は次帥。抗日パルチザン世代の1人である。

経歴

[編集]

1916年日本統治下の咸鏡南道甲山郡(現両江道恵山市)で生まれた[1]1936年東北抗日聯軍に入隊し[1]金日成が指揮する部隊で抗日活動に参加した[1]1963年朝鮮人民軍区分隊司令官に就き[1]1966年に第1軍政治委員に就任した[1]1967年最高人民会議第4期代議員に選出され[1]1970年11月2日に開催された朝鮮労働党第5次大会朝鮮労働党中央委員会委員候補に選出された[1]1968年に中将に昇進し[1]1977年平壌防御司令官に就任した[1]1986年に上将に昇進した[1]1998年に朝鮮反帝闘士老兵委員会副委員長[1]1990年万景台革命学院院長に就任した[1]1992年4月共和国二重英雄称号を受賞し[1]、大将に昇進した[1]1998年に次帥に昇進した[1][2]

2008年3月19日に死去[1]金正日総書記から花輪が贈られた。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 김용연(金龍淵)북한지역정보넷
  2. ^ 북한차수승진등 軍후속인사 東亜日報 1998年9月9日