コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

李英浩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
李英浩
리영호
生年月日 1942年10月5日
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮 江原道通川郡
(現朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国 江原道通川郡)
出身校 金日成軍事総合大学
所属政党 朝鮮労働党

在任期間 2010年9月28日 - 2012年7月15日
総書記
第一書記
金正日
金正恩
テンプレートを表示
李英浩
各種表記
チョソングル 리영호
漢字 李英浩、李英鎬
発音 リ・ヨンホ
日本語読み: り・えいこう
英語表記: Ri Yong-Ho
テンプレートを表示

李 英浩(リ・ヨンホ、리영호1942年10月5日 - 2012年?)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍人。確認されている朝鮮人民軍における最終的な軍事称号は次帥2010年から2012年まで朝鮮労働党中央委員会政治局常務委員、党中央軍事委員会副委員長を、2009年から2012年まで朝鮮人民軍総参謀長を務めた。漢字氏名については「李英鎬」とも表記される。

経歴

[編集]

江原道通川郡で生まれる。1959年8月に朝鮮人民軍に入隊、金日成軍事総合大学を卒業した。

2002年4月13日に中将に昇格[1]。平壌防御司令官等を経て、2009年2月11日に朝鮮人民軍総参謀長に就任した[1]

2010年9月27日、朝鮮人民軍最高司令官命令および国防委員会決定により、人民軍次帥に昇格[2][3]。翌28日の朝鮮労働党第3次代表者会議(代表者会)において政治局常務委員に選出され、党内序列第5位となる。また、この代表者会議(代表者会)では金正日総書記の後継者として登場した金正恩とともに新設ポストである党中央軍事委員会副委員長にも選出された。これは軍内における他の年輩実力者を抑えての抜擢であり、李が若輩の正恩を支える軍における中心人物の役割を期待されたものと見なされた。金正日からの信頼も厚かったとされる[4]

2011年、金正日が死去すると葬儀において、霊柩車に付き添うなど依然として重要な位置にいることが確認されていたが、2012年7月15日の政治局会議において政治局常務委員、中央軍事委員会副委員長など全ての党の役職から解任され[5]、同時に総参謀長の職も解任された[6]。病気を理由としているが、同月8日には金日成主席と金正日総書記の遺体が安置されている錦繍山太陽宮殿を訪れている。2012年7月20日、韓国の朝鮮日報は、解任に際し、李英浩の護衛兵が反発し、交戦が発生したと報じた。この戦闘に巻き込まれ、李英浩が負傷、もしくは死亡した可能性も取り沙汰された[7]。また一方で解任直後より平壌の自宅に軟禁され、10月に咸鏡北道にある温泉施設内の療養所に身柄を移されたという報道もなされている[4]

韓国外交通商部の中には、李英浩の失脚は、軍部が独占してきた対外貿易の利権を党が支配する内閣に返そうという試みの中で、李を中心とする軍部が障害となったために発生したとの分析がある[8]。一方、2016年6月放送のNHKスペシャル『北朝鮮 機密ファイル~知られざる国家の内幕~』では、李英浩が金正恩の命令に背いたとして粛清されたとする朝鮮人民軍の機密文書の存在が明るみに出た[9]

韓国の一部報道では、失脚後の2015年に朝鮮人民軍参謀部作戦局1処部署長として平壌に復帰、2017年に金日成軍事総合大学戦術部学長へ異動したとの報道がなされた。

脚注

[編集]
  1. ^ a b 中川(2010年)、71ページ
  2. ^ “ジョンウン氏、人民軍大将に…世襲路線公式に” (日本語). 読売新聞. (2010年9月28日). https://web.archive.org/web/20100929165454/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100928-OYT1T00108.htm 2012年3月1日閲覧。 
  3. ^ 中川(2011年)、50ページ
  4. ^ a b “解任された北朝鮮軍総参謀長、温泉施設に軟禁か”. 読売新聞. (2012年11月20日). https://web.archive.org/web/20121127183243/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20121120-OYT1T01348.htm 2012年11月20日閲覧。 
  5. ^ “北朝鮮軍トップ、党職務から解任…正恩氏の最側近”. 読売新聞. (2012年7月16日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120716-OYT1T00234.htm 2012年7月16日閲覧。 
  6. ^ “北朝鮮 総参謀長に玄永哲氏=李英鎬氏後任”. 中央日報. (2012年7月18日). http://japanese.joins.com/article/828/155828.html 
  7. ^ “李英鎬解任の過程で交戦…流血事態に”. 中央日報. (2012年7月20日). https://japanese.joins.com/JArticle/155950 
  8. ^ “李英鎬の粛清を招いた北朝鮮の軍民金脈争い”. 中央日報. (2012年7月18日). https://japanese.joins.com/JArticle/155748 
  9. ^ “金正恩委員長体制で何が起きているのか”. Wedge.Infinty. (2016年6月8日). https://wedge.ismedia.jp/articles/-/6992?page=2&layout=b 2020年8月7日閲覧。 

参考文献

[編集]
  • 中川雅彦「2度目のロケット発射と核実験 - 2009年の朝鮮民主主義人民共和国」『アジア動向年報2010』アジア経済研究所、2010年
  • 中川雅彦「後継体制の準備始まる - 2010年の朝鮮民主主義人民共和国」『アジア動向年報2011』アジア経済研究所、2011年

関連項目

[編集]
 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
先代
金格植
朝鮮人民軍総参謀長
2010年 - 2012年
次代
玄永哲