金潤赫
金潤赫 김윤혁 | |
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生年月日 | 1926年 |
出生地 | 日本統治下朝鮮平安南道 |
没年月日 | 2006年4月 |
出身校 |
金策工業総合大学 レニングラード工科大学 |
所属政党 | 朝鮮労働党 |
称号 | 金日成勲章 |
最高人民会議代議員 | |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1977年11月 - 2006年4月 |
最高指導者 |
金日成(1948年 - 1994年) 金正日(1994年 - 2011年) |
最高人民会議常任委員会書記長 | |
在任期間 | 1998年9月5日 - 2005年4月11日 |
委員長 | 金永南(1998年 - 2019年) |
在任期間 | 1986年12月29日 - 1998年9月5日 |
政務院総理 |
延亨黙(1988年 - 1992年) 姜成山(1992年 - 1998年) |
在任期間 | 1986年12月29日 - 1988年2月12日 |
政務院総理 | 李根模(1986年 - 1988年) |
在任期間 | 1986年8月12日 - 1986年12月29日 |
政務院総理 |
姜成山(1984年 - 1986年) 李根模(1986年 - 1988年) |
その他の職歴 | |
朝鮮労働党中央委員会委員 (1980年10月14日 - 2006年4月) |
金潤赫 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 김윤혁 |
発音: | キム・ユンヒョク |
金 潤赫、金允赫(キム・ユンヒョク、朝鮮語: 김윤혁、1926年 - 2006年4月 )は、朝鮮民主主義人民共和国の政治家。最高人民会議常任委員会書記長、政務院副総理兼建設・建材工業委員会委員長、政務院金属工業部長、政務院事務長、朝鮮労働党中央委員会委員などを歴任した。
経歴
[編集]平安南道出身[1]。金策工業総合大学を卒業し、ソ連に留学[1]。1977年に最高人民会議第6期代議員に選出され[1]、12月15日に開催された最高人民会議第6期第1回会議で政務院事務長に任命された[2]。1980年3月には政務院金属工業部長に転じ[1]、10月10日から開催された朝鮮労働党第6回党大会で朝鮮労働党中央委員会委員に選出された[3]。1982年に黄海南道行政経済委員長を経て[1]、1986年8月12日に政務院第1副総理に任命された[4]。同年12月30日 に開催された最高人民会議第8回第1回会議で政務院副総理兼建設・建材工業委員会委員長に任命されたが[5]、1988年2月12日に中央人民委員会政令により建設・建材工業委員会委員長を解任された[6]。1990年5月24日に開催された最高人民会議第9期第1回会議で政務院副総理に再任[7]。1994年には金日成の国家葬儀委員に選ばれている[1]。1998年9月5日に開催された最高人民会議第10期第1回会議で最高人民会議常任委員会書記長に任命された[8]。
2001年7月には中国を訪問し、江沢民国家主席や李鵬全国人民代表大会常務委員長、銭其琛国務院副総理と会談した[9][10]。2003年9月3日の最高人民会議第11期第1回会議でも常任委員会書記長に再任された[11]。2005年4月11日に開催された最高人民会議第11期第3回会議で最高人民会議常任委員会書記長を解任された[12]。2006年4月13日に金が愛国烈士陵に埋葬されたと報道されたが、正確な死亡日時は不明[13]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 김윤혁북한지역정보넷
- ^ 日本貿易振興機構アジア経済研究所 1978, 86頁.
- ^ 小牧輝夫 1981, 86頁.
- ^ 小牧輝夫 1987, 68頁.
- ^ 小牧輝夫 1987, 75頁.
- ^ 玉城素 1989, 80頁.
- ^ 玉城素 1991, 82頁.
- ^ 中川雅彦 1999, 83頁.
- ^ 中 리펑, 對北 친선강화 다짐 統一ニュース 2001年7月12日
- ^ 방북 中친선대표단 바쁜 일정 보내 統一ニュース 2001年7月12日
- ^ 北 최고인민회의 상임위원 일부 교체 統一ニュース 2003年9月3日
- ^ 北 최고인민회의 개최..핵문제 조치 없어 統一ニュース 2005年4月12日
- ^ 北김일성대 총장 형 애국열사릉에 안치 統一ニュース 2006年4月13日
参考文献
[編集]- 「深刻な全面的調整の年 : 1977年の朝鮮民主主義人民共和国」、日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所、1978年、doi:10.20561/00039276。「Ja/3/Aj4/78」
- 小牧輝夫「労働党第6回大会の年 : 1980年の朝鮮民主主義人民共和国」『アジア動向年報1981年版』、アジア経済研究所、1981年、doi:10.20561/00039211。「Ja/3/Aj4/81ZAD198100_004」
- 小牧輝夫「経済の不振と対ソ関係拡大 : 1986年の朝鮮民主主義人民共和国」、アジア経済研究所、1987年、doi:10.20561/00039042。「Ja/3/Aj4/87」
- 玉城素「緊張と動揺の明け暮れ : 1988年の朝鮮民主主義人民共和国」、アジア経済研究所、1989年、doi:10.20561/00038994。「Ja/3/Aj4/89」
- 玉城素「厳しい「孤立化・経済困難」脱出作戦 : 1990年の朝鮮民主主義人民共和国」、アジア経済研究所、1991年、doi:10.20561/00038945。「AA/3/Aj1/91」
- 中川雅彦「光明星1号の打ち上げで威信回復を試みる : 1998年の朝鮮民主主義人民共和国」、日本貿易振興会アジア経済研究所、1999年、doi:10.20561/00038721。「AA/3/Aj1/99」
朝鮮民主主義人民共和国
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