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金沢市立三馬小学校

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金沢市立三馬小学校
地図北緯36度32分37.8秒 東経136度38分00.9秒 / 北緯36.543833度 東経136.633583度 / 36.543833; 136.633583座標: 北緯36度32分37.8秒 東経136度38分00.9秒 / 北緯36.543833度 東経136.633583度 / 36.543833; 136.633583
過去の名称 泉小学校・久安小学校
泉尋常小学校・久安尋常小学校
三馬尋常小学校
三馬尋常高等小学校
金沢市立三馬尋常高等小学校
金沢市立三馬国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 金沢市
校訓 至誠・協同・勇気[1]
設立年月日 1874年明治7年)5月[2]
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B117220100250 ウィキデータを編集
校地面積 11,378[1] m2
校舎面積 6,218[1] m2
所在地 921-8164
石川県金沢市久安6丁目154番地[3]
外部リンク www14.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=1710038 ウィキデータを編集
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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金沢市立三馬小学校(かなざわしりつ みんましょうがっこう、英語: Kanazawa Municipal Minma Elementary School)は、石川県金沢市久安6丁目にある公立小学校

概要

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1874年明治7年)の泉小学校創立に始まる、金沢市内でも歴史のある小学校。2024年で創立150周年を迎えた。

児童数急増に伴い、1974年伏見台小学校を分離したが、その後もさらに児童数増が続いたため、1983年米泉小学校を分離した。

公立進学者の場合は清泉中学校へ進学する[4]

沿革

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《主要な出典:[5][6]

  • 1874年明治07年)5月 - のちの石川郡三馬村にあたるいずみ村で泉小学校創立 [7]
  • 1876年(明治09年)4月 - 久安ひさやす村で久安小学校創設。
  • 1892年(明治25年)4月 - 小学校令改正により尋常小学校となる。
  • 1912年大正元年)9月9日[8] - 泉尋常小学校・久安尋常小学校[9]を廃校。両校を合併し三馬尋常小学校[10]創立。
  • 1920年(大正09年)4月1日 - 高等科を併置、三馬尋常高等小学校と改称[11]
  • 1936年昭和11年)4月1日 - 三馬村の金沢市編入に伴い、金沢市立三馬尋常高等小学校と改称。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い、金沢市立三馬国民学校と改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により金沢市立三馬小学校と改称。
  • 1956年(昭和31年)6月10日 - 創立80周年記念式挙行、校歌制定。
  • 1966年(昭和41年)7月29日 - 新校舎起工式[12]
  • 1970年(昭和45年)
    • 7月21日 - 4年がかりで改築していた校舎が完成、落成式を行う[13]
    • 9月初めごろ(2学期始業時点) - 金沢市立内川小学校どう分校の廃校に伴い、同分校児童を編入[13][14][注釈 1]
  • 1974年(昭和49年)
    • 4月1日 - 金沢市立伏見台小学校を分離、新設(伏見台小学校は同年9月に独立・移転)。
    • 10月11日 - 創立100周年記念式挙行。
  • 1976年(昭和51年)4月12日 - 米飯給食を開始[13]
  • 1982年(昭和57年)1月12日 - 第2三馬小学校(仮称)[注釈 2]起工式。
  • 1983年(昭和58年)4月1日 - 金沢市立米泉小学校を分離、新設。
  • 1994年平成06年)10月22日 - 創立120周年記念式挙行。
  • 2004年(平成16年)
    • 4月1日 - 2学期制開始。
    • 10月22日 - 創立130周年記念式挙行。
  • 2014年(平成26年)
    • 4月1日 - 3学期制に移行。
    • 11月28日 - 創立140周年記念式挙行。
  • 2018年(平成30年)12月3日 - 同小の地域学校協働本部が、地域活性化に取り組む活動を顕彰する文部科学大臣表彰を受ける[19]
  • 2020年令和02年)2月 - 各教室に冷房機設置。
  • 2021年(令和03年)4月1日 - GIGAスクールが始まる。

著名な出身者

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脚注

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注釈

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  1. ^ 金沢市堂町は、内川ダム建設に伴い水没するのに閉町することとなった。そのため、堂町の町民が三馬小学校下の横川町(当時)に集団移転したもの[15]。内川小学校堂分校は堂町「廃町」のため廃校となり[16](8月29日に閉校式を実施[17])、堂分校児童は2学期から三馬小学校に移った。なお、小学校分校よりも5年早く廃校となった内川中学校堂分校の場合では、堂分校は中学校本校に併合されており、分校生徒はスクールバスでの本校通学を開始し、廃校の翌年には寄宿舎が新設されて通年制の寄宿生となった[18]
  2. ^ 米泉小学校よりも先に、1974年(昭和49年)に分離、開校した伏見台小学校は、三馬小学校と富樫小学校wikidataの両校から分離しており「第2三馬小学校」とならなかった。そのため、米泉小学校は第3三馬小学校に当たらない。

出典

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  1. ^ a b c 学校紹介 - 学校経営ビジョン”. 金沢市立三馬小学校. 2024年8月17日閲覧。
  2. ^ 学校施設、児童生徒数、教職員数一覧”. 金沢の教育(行政編). 金沢市教育委員会. p. 36. 2024年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年8月17日閲覧。
  3. ^ 金沢市学校設置条例 第2条別表”. 金沢市. 2024年10月4日閲覧。
  4. ^ 金沢市立中学校生徒通学区域”. 金沢市例規集. 金沢市. 2024年10月4日閲覧。
  5. ^ 沿革の概要(金沢市立三馬小学校 旧ホームページ)(2020年11月12日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  6. ^ 学校紹介 - 沿革の概要”. 金沢市立三馬小学校. 2024年8月17日閲覧。
  7. ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(明治編)』金沢市、1965年7月、29頁。NDLJP:2994360/19 
  8. ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(大正・昭和編)』金沢市、1967年6月、3頁。NDLJP:2994372/6 
  9. ^ 『帝国小学校名簿 明治43年5月現在』東京書籍商組合、1910年10月、659頁。NDLJP:813004/340 
  10. ^ 東京書籍商組合 編『帝国小学校名簿 再版』東京書籍商組合事務所、1919年3月、485頁。NDLJP:939365/255 
  11. ^ 金沢の百年 大正・昭和編(1967), p. 57.
  12. ^ 金沢の百年 大正・昭和編(1967), p. 501.
  13. ^ a b c 市史年表 金沢の百年 昭和続編”. 金沢市図書館. 2024年8月17日閲覧。
  14. ^ 『内川の郷土史』内川村史発刊委員会、1971年8月、491頁。NDLJP:9536574/261 
  15. ^ 内川の郷土史(1971), p. 885.
  16. ^ 学校紹介 - 内川小中学校のあゆみ”. 金沢市立内川中学校. 2024年10月4日閲覧。なお、中学校分校の廃校の場合は「本校に併合」と明記されているのに対し、小学校分校の場合はそのように記されていない。
  17. ^ 内川の郷土史(1971), p. 494.
  18. ^ 内川の郷土史(1971), pp. 497–498.
  19. ^ 「文科相表彰を報告 三馬小」(2018年12月26日付北國新聞朝刊27面)

関連項目

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外部リンク

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