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金在鉉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金 在鉉
김재현
生年月日 1926年7月2日
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮 慶尚北道大邱府
没年月日 (2013-11-18) 2013年11月18日(87歳没)
出身校 啓聖中学
警備士官学校2期
成均館大学大学院法学科修了

大韓民国の旗 大韓民国鉄道庁長官
在任期間 1976年3月31日 - 1977年11月24日
大統領 朴正煕

大韓民国の旗 大韓民国関税庁長官
在任期間 1978年12月26日 - 1981年4月26日
大統領 朴正煕
崔圭夏
全斗煥
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金 在鉉
김 재현
所属組織 大韓民国陸軍
軍歴 1946-1961
最終階級 准将
除隊後 駐日代表部公使
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金 在鉉(キム・ジェヒョン、김재현1926年7月2日[1] - 2013年11月18日)は大韓民国軍人政治家、実業家。最終階級は陸軍准将。駐日代表部公使、9代鉄道庁長官、3代関税庁長官。


経歴

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大邱府出身。

1944年3月、啓聖中学卒業[2]。1946年12月、警備士官学校卒業。(2期

1948年、第4旅団司令部情報参謀。朝鮮戦争開戦後の1952年、陸軍歩兵学校を卒業し、第2軍団司令部情報参謀[1][3]

1957年7月、陸軍大学を卒業し[1]特務部隊長。1959年、第35師団長

1960年3月、成均館大学大学院法学科修了。陸軍本部化学監、陸軍本部情報参謀課次長を歴任した[2]。1961年より国防部合同捜査隊隊長であったが、5.16クーデター直後、「整軍」の一環として同年7月3日に予備役編入となる[2][4]

8月ソウル新聞常務取締役、10月下旬に駐日代表部特別顧問[2]。62年3月8日、駐日代表部公使に正式発令され、10日着任。のちのコリアゲート発覚後、金炯旭によればKCIA機関員であったとされる[5][6]


66年10月東洋通信常務取締役、1969年1月大韓浚渫公社社長[1]

1976年3月、鉄道庁長官[7]、1978年12月、関税庁長官。

雙龍グループ(現STXグループ)副会長を経て雙龍、雙龍洋灰、高麗火災で各理事。

脚注

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  1. ^ a b c d 霞関会 1971, pp. 95.
  2. ^ a b c d 霞関会 1962, pp. 96.
  3. ^ 世界政経調査会 1977, pp. 82.
  4. ^ 日韓経済新聞社 編 編『韓国年鑑 : 日本語版 1964年版』日韓経済新聞社、1964年、58頁。NDLJP:3001384/46 
  5. ^ 朝鮮統一問題研究会 編 編『シリーズ日韓問題 8』晩声社、1978年4月、58頁。NDLJP:111926870/36 
  6. ^ 朝鮮統一問題研究会 編 編『シリーズ日韓問題 5』晩声社、1978年7月、58頁。NDLJP:11924386/133 
  7. ^ 民族問題研究所 編『『コリア評論』19(174)』コリア評論社、1976年6月、60頁。NDLJP:1410257/32 

参考文献

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公職
先代
李東和
大韓民国鉄道庁長官
第9代:1976.3.31 - 1977.11.24
次代
李鏞植
先代
崔大賢
大韓民国関税庁長官
第3代:1978.12.26 - 1981.4.26
次代
金煜泰
軍職
先代
鄭麟澤
国軍機務司令官
7代:1957年9月25日 - 1959年10月10日
次代
河甲清