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金名世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金名世
『省政彙覧』第四輯 三江省篇(1936年)
プロフィール
出生: 1886年光緒11年)
死去: 1964年
中華人民共和国の旗 中国
出身地: 清の旗 盛京将軍管轄区奉天府興京庁
職業: 政治家
各種表記
繁体字 金名世
簡体字 金名世
拼音 Jīn Míngshì
ラテン字 Chin Ming-shih
和名表記: きん めいせい
発音転記: ジン ミンシー
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金 名世(きん めいせい)は中華民国満州国の政治家。愛新覚羅氏、満州正藍旗の人。満州国では厚生部大臣などをつとめた。

事績

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吉林省公署警務庁庁長在任時(1930年代前半)

北京国立法政大学を卒業。1922年民国11年)、吉林延吉鎮守使署軍法官となる。1926年(民国15年)、吉林浜江鎮守使上校参謀長に任ぜられた。1931年(民国20年)、吉林の汪清県県長となった。

満州国成立後は、ハルビン特別市実業総局局長、吉林省公署警務庁庁長、間島省民政庁庁長を歴任した。1934年康徳元年)12月、三江省省長に昇進している。1937年(康徳4年)7月1日、熱河省省長に異動した[1]1940年(康徳7年)5月、新京特別市市長となる。1942年(康徳9年)9月28日、吉林省省長に移動した[2]

1944年(康徳12年)4月、民生部大臣に起用された。翌年3月、民生部は厚生部に改組され、金名世がそのまま大臣をつとめている。

満州国滅亡後、金名世はソ連軍に逮捕される。後に中華人民共和国に引き渡され、撫順戦犯管理所に収監された。数年を経て特赦により釈放された。晩年は史料としての回顧文を書き残している。

1964年、死去。享年79。

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  1. ^ 「満州の人事異動 行革に伴い七月発令」『東京朝日新聞』昭和12年(1937年)6月12日、2面。
  2. ^ 「共栄圏の重責完遂へ 満州国大臣全面更迭」『朝日新聞』昭和17年(1942年)9月29日夕刊、1面

参考文献

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  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 王鴻賓ほか主編『東北人物大辞典 第2巻』遼寧古籍出版社、1995年。ISBN 7805074135 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  • 『長春市志 少数民族志・宗教志(上巻)』吉林文史出版社、1998年。 
  満州国
先代
(創設)
三江省長
1934年12月 - 1937年7月
次代
于琛澂
先代
劉夢庚
熱河省長
1937年7月 - 1940年5月
次代
王允卿
先代
于静遠
新京特別市長
1940年5月 - 1942年9月
次代
張聯文
先代
閻伝紱
吉林省長
1942年9月 - 1944年4月
次代
徐家桓
先代
于静遠
民生大臣
1944年4月 - 1945年3月
次代
(厚生大臣に改組)
先代
(民生大臣から改組)
厚生大臣
1945年3月 - 8月
次代
(廃止)