金井修
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かない しゅう 金井 修 | |
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本名 | 金尾 修 |
生年月日 | 1897年 |
没年月日 | 1963年12月21日 |
出生地 | 日本・京都府 |
民族 | 日本人 |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 舞台、テレビドラマ |
金井 修(かない しゅう、1897年 - 1963年12月21日)[1][2]とは、日本の剣劇俳優。浅草では梅沢昇とともに圧倒的人気を誇った[2][3]。
経歴
[編集]1897年(明治30年)京都府の生まれ[1][2]。本名は金尾修[1][2]。京都中卒業後[1]、倉橋仙太郎の新民衆劇学校で演技を学び、新民衆劇一派(のちに第二新国劇に改称)で活躍[1]。同劇団では原健策、大河内傳次郎らが一緒だった。第二新国劇解散後、剣劇を売りとした金井修一座(金井修劇団)を旗揚げ[1]。神戸三宮の歌舞伎座、新開地の港座あたりで公演を行った後、東上[3]。以後、浅草昭和座を拠点に、京都新京極、大阪道頓堀、神戸新開地劇場[4]などに出演[1]。大殺陣とともに、5役30回などの早替りを得意とした[1]。
一座解散後はテレビに出演した[3]。
主な出演作品
[編集]舞台
[編集]- 1932年3月1日、名古屋・歌舞伎座(『安政船匠奇談』『つわもの還る』『直参風流男』)
- 1941年11月15日、名古屋・歌舞伎座(『肥後の駒下駄』)
- 1943年4月16日 福岡・嘉穂劇場[5]
- 1944年6月17日〜29日、松竹劇場(『子育地蔵』『唄入り観音経』)[6]
- 1949年3月15日・10月30日 福岡・嘉穂劇場[5]
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映画
[編集]- 義憤の血煙(1925年)
- 隠密将軍と喧嘩大名(1958年)
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テレビドラマ
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出典
[編集]- ^ a b c d e f g h 『芸能人物事典 明治・大正・昭和』日外アソシエーツ、1998年、156頁。ISBN 978-4816915130。
- ^ a b c d 『日本芸能人名事典』三省堂、1995年。ISBN 978-4385154473。
- ^ a b c 『日本の大衆演劇』東峰書房、1962年。
- ^ “新開地劇場の歩み”. 新開地劇場. 2020年2月20日閲覧。
- ^ a b “歴史”. 嘉穂劇場. 2020年2月20日閲覧。
- ^ 『近代歌舞伎年表 京都篇〈別巻〉昭和十八年~昭和二十二年補遺・索引』八木書店、2005年、147頁。ISBN 978-4840692335。
外部リンク
[編集]- 金井修 - KINENOTE
- 金井修 - 日本映画データベース