大塔村 (奈良県)
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(野長瀬荘から転送)
おおとうむら 大塔村 | |||||
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廃止日 | 2005年9月25日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 西吉野村、大塔村 → 五條市 | ||||
現在の自治体 | 五條市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 奈良県 | ||||
郡 | 吉野郡 | ||||
市町村コード | 29448-9 | ||||
面積 | 111.06 km2 | ||||
総人口 |
747人 (2004年9月1日) | ||||
隣接自治体 |
奈良県 吉野郡十津川村、野迫川村、西吉野村、上北山村、天川村 和歌山県 伊都郡高野町 | ||||
村の木 | 杉 | ||||
村の花 | ササユリ | ||||
大塔村役場 | |||||
所在地 |
〒637-0408 奈良県奈良県吉野郡大塔村辻堂41 | ||||
外部リンク |
大塔村 (国立国会図書館) | ||||
座標 | 北緯34度10分17秒 東経135度45分24秒 / 北緯34.17144度 東経135.75675度座標: 北緯34度10分17秒 東経135度45分24秒 / 北緯34.17144度 東経135.75675度 | ||||
ウィキプロジェクト |
大塔村(おおとうむら)は、かつて奈良県の南西部に存在した村である。 2005年9月25日、吉野郡西吉野村とともに五條市に編入され廃止した。
概要
[編集]地理
[編集]奈良県の南部、紀伊半島の中央部に位置し、紀伊山地を東西に分ける十津川沿いに村落を構える山間(やまあい)の村である。村内の96%は森林であり、高地にあって澄んだ空気に包まれているため夜空に広がる星の煌めきは格別である。高地に位置する為、夜間、雲が下降し一時的に霧になる事がある。霧が晴れた後は下界の光を霧が遮断する為、銀河などが比較的良く見える。また、天文台は広い敷地を抱え、観望会などが催される[1]。
気候
[編集]人口
[編集]1920年から1960年まで
[編集]- 1920年に実施された国勢調査では3111人であり、1950年の国勢調査では3127人である。この年まで、人口は3000人程度を維持していた。その後は猿谷ダム建設に伴う建設関係者が流入したことから、人口は急増し、1955年の国勢調査では5401人を記録した。ダムが完成すると建設関係者は流出し、さらにダムが完成したことによって集落が水没する地域に居住していた人も流出したことから、1960年の国勢調査では2991人になった[4][2]。
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猿谷ダムに沈む前の阪本の街並み
1950年頃撮影
1960年から五條市との編入合併直前まで
[編集]- 高度経済成長期以降、村の主要産業であった林業の衰退と都市に流出する村民の増加により人口が急減した。1970年の国勢調査では1653人、1975年の国勢調査では1274人となった。1980年以降は減少数が鈍化したが、母数が少ないことから減少率は高く、遂に1000人を割り、1985年の国勢調査では927人になった。1990年代は800人台であったが、21世紀になると、700人程度まで減少した[4][5]。人口流出による財政状況の悪化などから、五條市に編入合併するに至った[2]。
面積
[編集]奈良県の約3%を占めている[5]。
- 111.06㎢
位置・標高
[編集]隣接自治体
[編集]行政
[編集]村長
[編集]- 北村年宏 - 1992年2月11日から2005年9月24日まで(最後の村長)
村章
[編集]歴史
[編集]村名の由来
[編集]後醍醐天皇の皇子、大塔宮護良親王が元弘の変の際にこの地の豪族戸野兵衛・竹原八郎らに匿われたことに由来する。
沿革
[編集]明治時代から大正時代
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、辻堂村、殿野村、閉君村、宇井村、猿谷村、堂平村、飛養曽村、引土村、清水村、中峰村、中井傍示村、惣谷村、篠原村、坂本(阪本)村、簾村、小代村、中原村、唐笠村の18の区域(野長瀬組)をもって発足[7]。
- 1889年(明治22年)8月18日 - 吉野郡大水害で当村で死者35人・負傷者6人・流出全半壊家屋87戸の被害が出た[7][8]。
- 1905年(明治38年)2月 - 五條警察署阪本部長派出所を設置する[7]。
昭和時代から五條市編入合併直前まで
[編集]- 1936年(昭和11年)5月17日 - 大塔村役場が完成する[9]。
- 1956年(昭和31年)4月22日 - 阪本の大火が起こる[10]。
- 1958年(昭和33年)4月25日 - 大塔村観光協会が発足する[10]。
- 1976年(昭和51年)11月1日 - 現在の五條市役所大塔支所の建物(旧・大塔村役場)が完成する[11]。
- 2005年(平成17年)9月25日 - 五條市に編入。同日大塔村廃止。
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1936年撮影の大塔村役場
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阪本の大火
1956年4月22日撮影
産業
[編集]施設
[編集]- 大塔村役場
教育
[編集]合併前まで存在した学校
[編集]廃止された学校
[編集]- 大塔村立大塔第二中学校
- 大塔村立中原小学校
- 大塔村立永盛小学校
- 大塔村立天辻小学校
- 大塔村立惣谷小学校
- 大塔村立篠原小学校
- 大塔村立辻堂小学校
- 大塔村立阪本小学校
交通
[編集]鉄道
[編集]村内を鉄道路線は通っていない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は、JR西日本和歌山線五条駅。
道路
[編集]国道
[編集]県道
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]観光
[編集]祭事
[編集]その他
[編集]- 大阪大学核物理研究センター (RCNP)
参考文献
[編集]- 大塔村総務課『大塔村のあゆみ』奈良県吉野郡大塔村、2005年9月。
脚注
[編集]関連項目
[編集]- 奈良県の廃止市町村一覧
- 大塔(その他の用法)
外部リンク
[編集]- 五條市役所 大塔支所
- 大塔村(2005/09/01アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project