野辺地町立野辺地小学校
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野辺地町立野辺地小学校 | |
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北緯40度51分46.01秒 東経141度07分51.48秒 / 北緯40.8627806度 東経141.1309667度座標: 北緯40度51分46.01秒 東経141度07分51.48秒 / 北緯40.8627806度 東経141.1309667度 | |
過去の名称 |
第七大学区第十六中学区二番小学 野辺地小学 野辺地尋常小学校 野辺地尋常高等小学校 野辺地尋常小学校 城内尋常高等小学校 野辺地国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 野辺地町 |
設立年月日 | 1873年9月27日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B102210002051 |
所在地 | 〒039-3118 |
青森県上北郡野辺地町字寺ノ沢42番4号 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
野辺地町立野辺地小学校(のへじちょうりつ のへじしょうがっこう)は、青森県上北郡野辺地町字寺ノ沢にある公立小学校。
沿革
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- 1873年(明治6年)9月27日 - 第七大学区第十六中学区二番小学として開校。
- 1874年(明治7年) - 野辺地小学と改称。
- 1877年(明治10年)6月15日 - 新校舎竣工。
- 1885年(明治18年)12月5日 - 明前に有戸分校設置。
- 1886年(明治19年)11月 - 有戸分校校舎新築落成。
- 1887年(明治20年)1月 - 野辺地尋常小学校と改称。
- 1890年(明治23年)
- 5月 - 本校校舎類焼。
- 8月 - 西光寺を仮校舎に充てる。
- 1891年(明治24年)10月 - 校舎新築落成。
- 1892年(明治25年)4月30日 - 高等小学校を併置し、野辺地尋常高等小学校と改称。
- 1893年(明治26年)
- 1899年(明治32年)
- 1908年(明治41年)
- 3月31日 - 野辺地高等小学校廃止。
- 4月1日 - 高等科を併置し、城内尋常高等小学校と改称。ただし、男子のみ収容。女子は、前日に廃止された旧野辺地高等小学校を校舎とし、新たに発足した新町尋常高等小学校に収容。
- 1909年(明治42年)5月8日 - 有戸分教場新校舎落成。
- 1910年(明治43年)
- 1931年(昭和6年)10月15日 - 有戸分教場校舎移転改築落成。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、野辺地国民学校と改称。
- 1943年(昭和18年)8月30日 - 字寺沢49番地に新校舎が落成し、落成式挙行。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制施行)により、野辺地町立野辺地小学校と改称。同日、野辺地中学校を併置し、高等科生を中学校に移籍。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 有戸分校が、昇格独立し、有戸小学校と改称。
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 木明分校が、昇格独立し、木明小学校と改称。
- 1960年(昭和35年)3月22日 - 新校歌制定。
- 1962年(昭和37年)4月9日 - 給食室が完成し、完全給食開始。
- 1973年(昭和48年)3月20日 - 新校舎完成。
- 2016年(平成28年) - 耐震補強工事実施[1]。
通学区域
[編集]- 駅前一区・駅前二区・枇杷野・琵琶野・鳴沢・松ノ木平・川目・下町一区・下町二区・本町・城内・上袋町・中袋町・えぼし[2]
アクセス
[編集]周辺
[編集]- 社会福祉法人有隣会ともいき保育園 - 進学前保育園のひとつ
- 西光寺
- 常光寺
- 野辺地町役場
- 愛宕コミュニティセンター
- 愛宕公園
有名な卒業生
[編集]参考資料
[編集]- 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)「学校沿革 小学校」807頁「野辺地小学校」
脚注
[編集]- ^ 施工実績>教育施設 - 株式会社福萬組
- ^ Gaccom野辺地小学校(通学区域)
- ^ 「柴崎先輩頑張れ」母校・野辺地小からエール - WEB東奥・2022年11月28日配信
関連項目
[編集]- 青森県小学校一覧
- 野辺地町立野辺地中学校 - 主な進学先