野溝弐彦
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野溝 弐彦 | |
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生誕 |
1889年4月14日 日本 大分県 |
死没 | 1947年5月24日(58歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1910年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
親族 |
野溝自然斎(祖父) 野溝甚四郎(父) 野溝七生子(妹) |
野溝 弐彦(のみぞ かずひこ、1889年(明治22年)4月19日[1] - 1947年(昭和22年)5月24日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]
経歴
[編集]1889年(明治22年)に大分県で生まれた[1]。陸軍士官学校第22期卒業[1]。1937年(昭和12年)8月、陸軍歩兵大佐に進級と同時に第16師団司令部附となり[2]、旧制第三高等学校に配属された[2]。同年11月に久留米連隊区司令官[2]、1938年(昭和13年)に留守第16師団司令部附を経て[2]、1939年(昭和14年)に歩兵第56連隊長に就任し[2]、日中戦争に出動。汕頭、潮州、翁英、賓陽などを連戦[1]。
1940年(昭和15年)に陸軍少将に進級し[2]、1941年(昭和16年)に西部軍兵務部長に就任[1]。1942年(昭和17年)に歩兵第51旅団長に転じ[1]、中国戦線に復帰。湘桂作戦、長沙、衡陽、全県で戦果を収めた[1]。1945年(昭和20年)1月、第126師団長心得となり[1]、同年3月に陸軍中将進級と同時に第126師団長に親補される[1][2]。満州国掖河で終戦を迎えた[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。