野津康雄
表示
野津 康雄(のづ やすお[1][2]、1911年(明治44年)5月1日[2] - 1987年(昭和62年)[3])は、日本の実業家。岡山日日新聞社長[4][5]。岡山放送取締・相談役[5]。弟・野津克巳の孫は池田基煕(旧名・野津基弘、旧岡山藩主池田家第16代当主池田隆政の妻で昭和天皇第4皇女池田厚子の養子)である。
経歴
[編集]岡山県総社市真壁出身[4]。國學院大學卒業[注 1]。1936年、同盟通信社に入社する[1][2]。1946年、時事通信社に転じ、岡山、高松、広島各支社長、本社事業本部長を経て1957年に夕刊新聞社代表取締役に就任する[2]。
また岡山通信土木、フジボーリング、日本シール販売各代表取締役、テレビ岡山、フジビル各取締役、岡山県政経懇話会会長、瀬戸内海経済研究センター理事長、岡山商工会議所常議員、岡山県経団連常任理事、岡山経済同友会常任幹事[2]、オカニチ会長[5]をつとめる。
人物
[編集]宗教は神道[1][2][6]。趣味は小唄、ゴルフ[2]、釣り[6]、読書[1][5]。岡山県総社市在籍で、住所は岡山市住吉町2丁目[1][2][5]。
家族・親族
[編集]- 野津家
- 親戚
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第24版 下』の29頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『人事興信録 第25版 下』の30 - 31頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月10日閲覧。
- ^ 『新聞研究(434)』86頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月10日閲覧。
- ^ a b 『岡山県展望 1969年版』293頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『現代人物事典 出身県別 西日本版』岡山1167頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月10日閲覧。
- ^ a b c 『新日本紳士録 全国篇 第2版』の916頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 本田秘密探偵社年鑑局編『新日本紳士録 全国篇 第2版』本田秘密探偵社、1968年。
- 人事興信所編『人事興信録 第24版 下』人事興信所、1968年。
- 人事興信所編『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年。
- 『岡山県展望 1969年版』岡山日日新聞社、1969年。
- 『現代人物事典 出身県別 西日本版』サン・データ・システム、1980年。
- 日本新聞協会編『新聞研究(434)』日本新聞協会、1987年。