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野津康雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

野津 康雄(のづ やすお[1][2]1911年明治44年)5月1日[2] - 1987年昭和62年)[3])は、日本の実業家岡山日日新聞社長[4][5]岡山放送取締・相談役[5]。弟・野津克巳の孫は池田基煕(旧名・野津基弘、旧岡山藩池田家第16代当主池田隆政の妻で昭和天皇第4皇女池田厚子の養子)である。

経歴

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岡山県総社市真壁出身[4]國學院大學卒業[注 1]1936年同盟通信社に入社する[1][2]1946年時事通信社に転じ、岡山、高松、広島各支社長、本社事業本部長を経て1957年に夕刊新聞社代表取締役に就任する[2]

また岡山通信土木、フジボーリング、日本シール販売各代表取締役、テレビ岡山、フジビル各取締役、岡山県政経懇話会会長、瀬戸内海経済研究センター理事長、岡山商工会議所常議員、岡山県経団連常任理事、岡山経済同友会常任幹事[2]、オカニチ会長[5]をつとめる。

人物

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宗教は神道[1][2][6]。趣味は小唄ゴルフ[2]釣り[6]、読書[1][5]。岡山県総社市在籍で、住所は岡山市住吉町2丁目[1][2][5]

家族・親族

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野津家
親戚

脚注

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注釈

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  1. ^ 國學院大學を卒業した年は、『人事興信録 第24版 下』や『人事興信録 第25版 下』には「昭和8年[1][2]」、『新日本紳士録 全国篇 第2版』や『現代人物事典 出身県別 西日本版』には「昭和7年[5][6]」とある。
  2. ^ 野津康雄は、『人事興信録 第24版 下』には「玄太郎の長男[1]」、『人事興信録 第25版 下』には「源太郎の長男[2]」とある。
  3. ^ 妻の名前は、『岡山県展望 1969年版』には「清子」とある。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第24版 下』の29頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月11日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『人事興信録 第25版 下』の30 - 31頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月10日閲覧。
  3. ^ 『新聞研究(434)』86頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月10日閲覧。
  4. ^ a b 『岡山県展望 1969年版』293頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月10日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g 『現代人物事典 出身県別 西日本版』岡山1167頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月10日閲覧。
  6. ^ a b c 『新日本紳士録 全国篇 第2版』の916頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月17日閲覧。

参考文献

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  • 本田秘密探偵社年鑑局編『新日本紳士録 全国篇 第2版』本田秘密探偵社、1968年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第24版 下』人事興信所、1968年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年。
  • 『岡山県展望 1969年版』岡山日日新聞社、1969年。
  • 『現代人物事典 出身県別 西日本版』サン・データ・システム、1980年。
  • 日本新聞協会編『新聞研究(434)』日本新聞協会、1987年。