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野村三郎 (軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

野村 三郎(のむら さぶろう、1911年1月1日[1] - 1985年)は、日本の陸軍軍人。陸軍士官学校在籍時に五・一五事件に連座して服役し、釈放後は満州での軍務を経て、ルーマニアなど東ヨーロッパにおける諜報活動に従事したとされる。音楽プロデューサーとして知られるジョニー野村の父、プロデューサー俳優野村祐人の祖父。

経歴

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士族であった父・野村興市[1](ないし、興一[2])と、母みね[3]の三男として、青森県弘前市に生まれた[1]

弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)二年修了後、東京陸軍幼年学校卒業[4]歩兵第31連隊に入隊し、陸軍士官学校へ派遣された[1](第44期)。1932年5月15日五・一五事件において首相官邸襲撃隊に加わり、1933年に陸軍軍法会議において懲役4年の判決が下り[1]豊多摩刑務所で服役した[2]1936年に釈放された後、弘前の実家での静養を経て、軍関係者のあっせんで満州国軍での軍務に就いた[2]

その後、野村はルーマニアなど東ヨーロッパにおける諜報活動に従事した[5]第二次世界大戦中はルーマニア駐在武官としてブカレストで活動し、当地で核物理学を専攻する学生だった妻・タチアーナと出会い、結婚した[6]

戦後は、東山高見の筆名を用いることがあった[7]

脚注

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  1. ^ a b c d e “歴史的斷罪の日 陸軍々法会議第十四回公判”. 読売新聞・夕刊: p. 1. (1933年9月20日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  2. ^ a b c “野村元候補生満洲へ 軍隊入り勇躍出發”. 読売新聞・朝刊: p. 7. (1936年7月7日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  3. ^ “『案外に輕くほっとした』 野村元候補生の母親は語る”. 朝日新聞・夕刊: p. 2. (1933年8月20日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  4. ^ 新編弘前市史 通史編5(近・現代2)”. 弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍. 2021年9月8日閲覧。
  5. ^ 木村洋. “最近の日本諜報史研究に関する問題点の指摘 ルーズベルト親電・ヤルタ密約” (PDF). インテリジェンス研究所. 2015年1月7日閲覧。
  6. ^ 奥様は外国人 バックナンバー”. テレビ東京. 2015年1月7日閲覧。
  7. ^ 「流れ」索引(執筆者別)-は行- ひ”. 馬場能久. 2015年1月7日閲覧。