野原休一
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野原 休一(のはら きゅういち、明治4年11月10日(1871年12月21日) 長府(現下関市) - 昭和23年(1948年)6月29日 下関)は、(旧制)中学の物理化学の教師でエスペランティスト。東京高等師範学校を出て、長く山口県立豊浦中学校に勤めた。
1906年の日本エスペラント協会(JEA)設立時からの会員であり、日本古典、漢籍や仏典を精力的にエスペラントに翻訳した。1939年にはエスペラント界の賞である小坂賞の第1回を日本書紀のエスペラント訳を機に受賞した。なお、キリスト教徒であった。
著作
[編集]訳は全てエスペラントへの翻訳。
- Kroniko Japana (1935年~1939年、全5巻、日本書紀の訳)
- ZinnooSjootooKi (神皇正統記の訳)
- Hoodjooki (方丈記の訳)
- Granda Lernado kaj Doktrino de Mezeco (1932年、大学・中庸の訳)
- Konstantaĵo de Fila Pieco(1933年、孝経の訳)
- La Sukhavativjuho (仏説阿弥陀経のサンスクリットからの訳、三蔵法師の漢訳付き)
- La Samanta-Mukha Parivarta (法華経普門品の訳)
- La Parabolo de la Urbo Magie Farita (法華経化城喩品の訳)
参考文献
[編集]- 野原休一追悼文:La Revuo Orienta誌、1948年8月号