野依町
表示
野依町 | |
---|---|
北緯34度42分1.87秒 東経137度23分9.2秒 / 北緯34.7005194度 東経137.385889度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 豊橋市 |
面積 | |
• 合計 | 5.013828 km2 |
人口 (2020年(令和2年)10月1日現在)[WEB 2] | |
• 合計 | 3,002人 |
• 密度 | 600人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
441-8124[WEB 3] |
市外局番 | 0532[WEB 4] |
ナンバープレート | 豊橋 |
地理
[編集]豊橋市南東部に位置する[1]。東は西七根町・天伯町・畑ケ田町、西は植田町、南は南大清水町・東赤沢町・東大清水町・若松町、北は芦原町・西高師町に接する[1]。
河川
[編集]池沼
[編集]字一覧
[編集]- 相川(あいかわ)[WEB 5]
- 井原(いはら)[WEB 5]
- 上地(うえじ)[WEB 5]
- 上ノ山(うえのやま)[WEB 5]
- 上原(うえはら)[WEB 5]
- 落合(おちあい)[WEB 5]
- 鎌田(かまた)[WEB 5]
- 上稲葉(かみいなば)[WEB 5]
- 上鷺田(かみさぎた)[WEB 5]
- 上三反田(かみさんたんだ)[WEB 5]
- 上藤ケ谷(かみふじがや)[WEB 5]
- 上古川(かみふるかわ)[WEB 5]
- 神戸坂(かんべざか)[WEB 5]
- 北(きた)[WEB 5]
- 木戸口(きどぐち)[WEB 5]
- 光明(こうみよう)[WEB 5]
- 米野(こめの)[WEB 5]
- 郷道(ごうどう)[WEB 5]
- 郷西(ごうにし)[WEB 5]
- 五反田(ごたんだ)[WEB 5]
- 下鷺田(しもさぎた)[WEB 5]
- 新切(しんきり)[WEB 5]
- 神明山(しんめいやま)[WEB 5]
- 次郎三(じろさん)[WEB 5]
- 諏訪(すわ)[WEB 5]
- 寸沢(すんざわ)[WEB 5]
- 高田(たかだ)[WEB 5]
- 竹尾(たけお)[WEB 5]
- 中瀬古(なかぜこ)[WEB 5]
- 南郷(なんごう)[WEB 5]
- 西新屋(にしあらや)[WEB 5]
- 西川(にしがわ)[WEB 5]
- 西新切(にししんきり)[WEB 5]
- 西中山(にしなかやま)[WEB 5]
- 西畑(にしはた)[WEB 5]
- 西物草(にしものくさ)[WEB 5]
- 西屋敷(にしやしき)[WEB 5]
- 西山(にしやま)[WEB 5]
- 白山下(はくさんした)[WEB 5]
- 八幡(はちまん)[WEB 5]
- 花ノ木(はなのき)[WEB 5]
- 浜田川(はまだがわ)[WEB 5]
- 東新谷(ひがしあらや)[WEB 5]
- 東欠(ひがしがけ)[WEB 5]
- 東五反田(ひがしごたんだ)[WEB 5]
- 東新切(ひがししんきり)[WEB 5]
- 東中山(ひがしなかやま)[WEB 5]
- 東物草(ひがしものくさ)[WEB 5]
- 東屋敷(ひがしやしき)[WEB 5]
- 東山(ひがしやま)[WEB 5]
- 平子(ひらこ)[WEB 5]
- 藤山(ふじやま)[WEB 5]
- 古川(ふるかわ)[WEB 5]
- 佛餉(ぶつしよう)[WEB 5]
- 細田(ほそだ)[WEB 5]
- 松割(まつわり)[WEB 5]
- 南丸山(みなみまるやま)[WEB 5]
- 三割(みわり)[WEB 5]
- 向河原(むこうがわら)[WEB 5]
- 森下(もりした)[WEB 5]
- 八重屋舗(やえやしき)[WEB 5]
- 薮下(やぶした)[WEB 5]
- 山中(やまなか)[WEB 5]
- 山ノ神(やまのかみ)[WEB 5]
- 山脇(やまわき)[WEB 5]
- 谷向(やむこう)[WEB 5]
歴史
[編集]町名の由来
[編集]昔々野善(のよい)という村があったらしい。野善が訛って今の野依(のより)になったと考えられている。
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口および世帯数の推移。
1995年(平成7年)[WEB 6] | 483世帯 2450人 |
|
2000年(平成12年)[WEB 7] | 516世帯 2496人 |
|
2005年(平成17年)[WEB 8] | 568世帯 2758人 |
|
2010年(平成22年)[WEB 9] | 735世帯 3089人 |
|
2015年(平成27年)[WEB 10] | 752世帯 3026人 |
|
2020年(令和2年)[WEB 2] | 818世帯 3002人 |
沿革
[編集]- 江戸時代 - 吉田藩領の渥美郡野依村として所在[2]。慶長9年には伊古部村・高塚村、寛永6年には東植田村・西植田村・仏餉村・切反ケ谷村をそれぞれ分村している[2]。
- 1878年(明治11年) - 仏餉村・切反ケ谷村を再併合する[2]。
- 1889年(明治22年) - 植野村大字野依となる[2]。
- 1891年(明治24年) - 渥美郡野依村として再分離する[2]。
- 1906年(明治39年) - 高師村大字野依となる[2]。
- 1932年(昭和7年) - 豊橋市野依町となる[2]。
- 1959年(昭和34年) - 天伯町・畑ヶ田町の各一部を編入する[2]。
- 1962年(昭和37年) - 一部が天伯町に編入される[2]。
- 1965年(昭和40年) - 一部が東大清水町・南大清水町にそれぞれ編入される[2]。
- 1967年(昭和42年) - 一部が若松町に編入される[2]。
- 1976年(昭和51年) - 一部が伊古部町に編入される[2]。
交通
[編集]施設
[編集]- 豊橋市立野依小学校[1]
- 野依校区市民館[1]
- 野依保育園[1]
- 豊橋市南部農協[1]
- 野依たばこ生産組合[1]
- 豊橋家具工業団地[1]
- 野依町公民館[1]
- 臨済宗妙心寺派仏鑑寺[1]
- 嵩山寺[1]
- 東雲寺[1]
- 八幡社[1]
- 素戔嗚社[1]
- 野依福祉村[1]
- イオン豊橋南店
脚注
[編集]WEB
[編集]- ^ “愛知県豊橋市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2023年4月13日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2022年2月10日). “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等” (CSV). 2023年8月2日閲覧。
- ^ “愛知県豊橋市の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2023年4月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧” (PDF). 総務省 (2022年3月1日). 2022年3月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn “愛知県豊橋市野依町の住所一覧”. ゼンリン. 2024年10月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
書籍
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、野依町に関するカテゴリがあります。
芦原町・西高師町 | ||||
植田町 | 西七根町・天伯町・畑ケ田町 | |||
野依町 | ||||
南大清水町・東赤沢町・東大清水町・若松町 |