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野々山頼兼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
野々山頼兼
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 元亀3年(1572年
死没 慶長9年7月22日1604年8月17日
別名 通称:新兵衛
戒名 善芳浄受
墓所 東京都文京区湯島の稱仰院
主君 徳川家康秀忠
氏族 三河野々山氏
父母 父:野々山元政
養子:兼綱
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野々山 頼兼(ののやま よりかね)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将

略歴

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三河国の出身。幼少の頃は徳川家康に仕え、後にその子・秀忠に仕える。入洛および関ヶ原の戦いに供奉したのち、腰物奉行となった。

慶長3年(1598年)には武蔵国都筑郡茅ヶ崎村(現神奈川県茅ヶ崎市)に230石の領地を与えられ、慶長7年(1602年)には、上野国勢多郡武士村(現群馬県伊勢崎市)に300石加増された。

慶長9年(1604年)7月22日、死去。享年33。養子・兼綱が後を継いだ。

脚注

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出典

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