鄭仁植
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鄭 仁植(チョン・インシク、朝鮮語: 정인식、1911年7月15日[1] - 没年不詳(1951年4月25日[2]?))は、大韓民国の政治家。第2代韓国国会議員[3]。
経歴
[編集]全羅南道光山郡芝山面(現・光州広域市光山区)出身[1][2]。徽文中学校中退、儆新中学校卒。芝山面長を務めたほか、1950年の第2代総選挙に国民会の公認で立候補して当選し、国会議員を務めた[3]。
朝鮮戦争中の1950年8月20日ごろに北朝鮮側の関係者によって拉致され、1956年7月より在北平和統一促進協議会の中央委員として召喚され[4]、1958年12月に平安北道義州郡の農牧場に移住したとされる[5]。以降の動向や活動ついての詳細は不明だが、戦中の1951年4月25日に既に死去したという説もある[2]。2005年7月20日から25日までに、『在北人士の墓』が公開されたことにより墓所が明らかとなった[6]。
脚注
[編集]- ^ a b “2723.정인식 - 6·25전쟁납북인사가족협의회”. www.kwafu.org. 2023年8月30日閲覧。
- ^ a b c “62기 중 안재홍 이광수 김효석 조헌영...등 좌우 인사 39명 묘소 최초 공개”. web.archive.org (2007年10月6日). 2007年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月28日閲覧。
- ^ a b “대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年8月30日閲覧。
- ^ 霞関会 編『現代朝鮮人名辞典 1962年版』世界ジャーナル社、1962年8月1日、317頁。NDLJP:2973328/218。
- ^ “북한총람 중 납북인사명단(4)-아자차하 - 6·25전쟁납북인사가족협의회”. www.kwafu.org. 2023年8月30日閲覧。
- ^ “北, 납북-월북 62人 평양묘역 공개” (朝鮮語). 동아일보 (2005年7月27日). 2023年8月30日閲覧。