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郭隗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

郭 隗(かく かい、郭隈とも[1])は、中国戦国時代の学者であり政治家である。

人物

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紀元前3世紀、燕は湣王により滅亡寸前まで追い詰められた。内乱なども起こり燕の国政は大きく乱れた。燕の昭王は斉に復讐することを誓ったが、その頃、燕は復興が難しいほどに乱れていた。復興するには国を引っ張る賢者が必要だった。しかし、当時燕に自ら仕官する者などそうはいなかった。そこで昭王は学者の郭隗に相談した。すると郭隗は「まずは私を優遇してください。私のような愚人が採用されることを知れば、全国から優れた武人や政治家が集まってくるでしょう。」と進言した[2]。昭王は郭隗の意見を採用した。すると郭隗の読みは当たり、から政治家の劇辛、斉から陰陽家鄒衍、さらにから楽毅が集まってきた。そして燕は次第に国力を増していった[3]。これが「隗より始めよ」という故事成語の由来となった。

脚注

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  1. ^ 戦国策』巻二十九・燕策一・燕昭王収破燕後即位
  2. ^ 「戦国策」では、自身を優遇するよう勧めるにあたり『死んだ名馬の骨を買う』故事を引用している。
  3. ^ 史記』巻三十四・燕召公世家:燕昭王収破燕後即位,卑身厚幣以招賢者。謂郭隗曰:“斉因孤之国乱而襲破燕,孤極知燕小力少,不足以報。然誠得賢士以共国,以雪先王之恥,孤之願也。先生視可者,得身事之。”郭隗曰:“王必欲致士,先従隗始。況賢於隗者,豈遠千里哉!”於是昭王為隗改築宮而師事之。楽毅自魏往,鄒衍自斉往,劇辛自趙往,士争趨燕。