那加町
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なかちょう 那加町 | |
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岐阜農林専門学校(1948年) | |
廃止日 | 1963年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 那加町、稲羽町、鵜沼町、蘇原町→各務原市 |
現在の自治体 | 各務原市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 稲葉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 14.13 km2. |
総人口 |
21,329人 (国勢調査、1960年) |
隣接自治体 | 岐阜市、稲葉郡 蘇原町、稲羽町、鵜沼町 |
那加町役場 | |
所在地 |
岐阜県稲葉郡那加町字東亜 現:各務原市那加東亜町106番地(各務原市東亜町会館) |
座標 | 北緯35度24分04秒 東経136度50分20秒 / 北緯35.401度 東経136.83875度座標: 北緯35度24分04秒 東経136度50分20秒 / 北緯35.401度 東経136.83875度 |
ウィキプロジェクト |
那加町(なかちょう)は、かつて岐阜県稲葉郡にあった町である。現在の各務原市那加地区。
1876年(明治9年)に大日本帝国陸軍第三師団砲兵演習場が、1917年(大正6年)に大日本帝国陸軍各務原飛行場(現航空自衛隊岐阜基地)が設置され、陸軍、及び軍需工場の町として繁栄した。1945年(昭和20年)6月22日に各務原飛行場が大規模な空襲(各務原空襲)を受けた際、中心地も被害を受けている。
大字
[編集]- 新加納
- 長塚
- 山後
- 岩地
- 桐野
- 西市場
- 前洞
- 幸町
- 大平町
- 西野町
- 新那加町
- 西那加町
- 楽天地
- 本町
- 東那加町
- 日之出町
- 元町
- 吾妻町
- 東亜町
- 北栄町
- 栄町
- 南栄町
- 門前町
- 楠町
- 大東町
- 桜町
- 雲雀町
- 雄飛ケ丘
- 昭南町
- 織田町
- 信長町
- 手力町
- 入会地
- 新加納外六ケ所大字入会地
- 桐野外二ケ所大字入会地
歴史
[編集]- 江戸時代後期のこの地域は美濃国各務郡であり、天領、旗本(坪内氏・徳山氏)領であった。
- 1875年(明治8年)1月 - 北洞村と前野村が合併し、前洞村となる。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 西市場村、更木新田、桐野村、岩地村、山後村、長塚村、前洞村、影野新田、新加納村が合併し、那加村となる。
- 1897年(明治30年)4月1日[2] - 厚見郡、各務郡、方県郡の一部が合併し、稲葉郡となる。
- 1940年(昭和15年)2月11日 - 町制施行。那加町となる[3]。
- 1944年(昭和19年)2月11日、那加町西市場外六ケ所大字入会地の市街地の地域で字名の改称と地番変更がおこなわれ、幸町、大平町、西野町、新那加町、西那加町、楽天地、本町、東那加町、日之出町、元町、吾妻町、東亜町、北栄町、栄町、南栄町、門前町、楠町、大東町、桜町、雲雀町、雄飛ケ丘、昭南町、織田町、信長町、手力町、入会地を設置[4][5]。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 蘇原町、稲羽町、鵜沼町と合併、市制施行。各務原市設立。同時に稲葉郡消滅。
交通
[編集]鉄道
[編集]教育
[編集]小学校
[編集]- 那加町立那加第一小学校 (現・各務原市立那加第一小学校)
- 那加町立那加第二小学校 (現・各務原市立那加第二小学校)
- 那加町立那加第三小学校 (現・各務原市立那加第三小学校)
中学校
[編集]- 那加町立那加中学校 (現・各務原市立那加中学校)
高等学校
[編集]- 岐阜県立稲葉高等学校 (現在の岐阜県立岐阜各務野高等学校の前身校の一つ)
大学
[編集]娯楽
[編集]- 那加映画劇場(那加東映) - 映画館
- 那加中央劇場 - 映画館
名所・旧跡
[編集]神社・仏閣
[編集]史跡
[編集]脚注
[編集]- ^ 各務原市:市制施行50周年の記念碑、旧町舎跡地に/岐阜 毎日jp 2013-11-29
- ^ 『揖斐郡志』、揖斐郡教育会、1924年12月、292-295頁
- ^ 岐阜県告示第96号
- ^ 各務原市歴史民俗資料館 1991, p. 59-67.
- ^ 小林 1964, p. 367.
参考文献
[編集]- 各務原市歴史民俗資料館 編『各務原市の地名(各務原市資料調査報告書第十四号)』各務原市歴史民俗資料館、1991年。
- 小林義徳 編『那加町史』小林義徳、1964年。