那俄性哲也
那俄性哲也 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県 |
生年月日 | 1960年11月14日(63歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 福山市競馬事務局 |
所属厩舎 | 福山・那俄性一人(1980年 - 1993年) |
勝負服 | 胴白・赤襷・袖青・赤一本輪 |
初免許年 | 1980年 |
免許区分 | 平地 |
騎手引退日 | 1993年9月27日 |
重賞勝利 | 31勝 |
通算勝利 | 6207戦816勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 1994年 |
経歴 | |
所属 |
福山市競馬事務局(1994年 - 2013年) 高知県競馬組合(2013年 - ) |
那俄性 哲也(ながせ てつや、1960年11月14日 - )は、高知県競馬組合所属の調教師、元騎手(騎手時代及び厩舎開業時は福山競馬場所属)である。広島県出身。
騎手時代の勝負服の柄は胴白・赤襷・袖青・赤一本輪。父は元騎手・調教師の那俄性一人で、叔父は元騎手・調教師の那俄性裕。
経歴
[編集]騎手時代
[編集]1980年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得し、那俄性一人厩舎からデビュー。同年4月26日に初騎乗。翌4月27日第2回福山競馬2日目第9競走サンケイスポーツ賞でベストボーイに騎乗(10頭立て5番人気)し初勝利。
福山競馬のリーディングでは1987年に記録した2位が最高位だったが、上述の初勝利をメインレースで挙げるなど大舞台での勝負強さを見せ、14年間の騎手生活で重賞31勝を挙げた。
騎手時代の代表的なお手馬として「福山史上最高の名馬」と称されるローゼンホーマが挙げられる。1986年には福山所属馬としては2頭目となる楠賞全日本アラブ優駿(園田)制覇を成し遂げ[1]、翌1987年には福山所属馬として唯一の全日本アラブ大賞典(大井)制覇を成し遂げるなど、出走した41戦中40戦に騎乗して34勝を挙げ、引退レースとなった1988年の福山菊花賞で3着に敗れるまで続いた40連対は、日本における当時の最多連続連対記録となった[2]。
この他にも、アサリユウセンプー(1989年楠賞全日本アラブ優駿(園田))やブラウンバツト(1993年西日本アラブ大賞典(佐賀))といった馬に騎乗し、福山競馬場のみならず他場で行われた重賞競走を数多く制覇した。
1990年代に入っても活躍を見せていたが、この頃からヘルニアを患うなど腰痛が悪化し、体重制限も思うように出来なくなって来た事から、1993年9月27日に騎手を引退した[3]。引退日には4勝をマークし、ラストレースとなった第9回福山競馬6日目第10競走アラ系一般C2でもミヤジキッカオーに騎乗(8頭立て2番人気)して勝利、有終の美を飾った。
騎手としての地方通算成績は6207戦816勝(重賞31勝)・勝率13.1%。
主な騎乗馬
[編集]- マツノジヤガー(1982年福山桜花賞)
- ハクバヒーロー(1983年福山大賞典)
- アカギオーシヨウ(1985年新春賞)
- アシヤムサシ(1985年福山桜花賞)
- ローゼンホーマ(1985年ヤングチャンピオン、1986年キングカップ、スプリングカップ、福山ダービー、楠賞全日本アラブ優駿、金杯、鞆の浦賞、福山菊花賞、アラブ王冠、1987年福山大賞典、金杯、全日本アラブ大賞典、1988年福山大賞典、金杯)
- トライバルキリー(1987年ヤングチャンピオン)
- アサリユウセンプー(1989年キングカップ、福山ダービー、楠賞全日本アラブ優駿、鞆の浦賞、西日本アラブダービー、1991年福山マイラーズカップ、ローゼンホーマ記念)
- マグニマークス(1991年園田・益田・福山交流特別、キングカップ)
- キヨラカエル(1992年銀杯)
- ブラウンバツト(1993年西日本アラブ大賞典)
- イムラッドホマレ(1993年銀杯)
調教師時代
[編集]騎手引退後は調教師に転身し、1994年4月に厩舎開業。同年4月30日第2回福山競馬2日目第6競走アラ系4歳(旧年齢)一般戦に管理馬を初出走(タニノフラワー、9頭立て6番人気4着)。同年7月25日第7回福山競馬3日目第3競走アラ系一般C2で調教師として初勝利(ハクバショウグン、9頭立て1番人気)。
2005年に年間69勝を挙げ自身初となるリーディングトレーナーを獲得するなど、調教師としても活躍を見せていたが、福山競馬場の廃止に伴い、2013年4月1日付けで高知競馬場へ移籍した。
2018年11月4日、京都競馬第12競走第8回JBCレディスクラシックにディアマルコで中央競馬初出走(16頭立て16番人気15着)。同馬は同年のNARグランプリサラブレッド4歳以上最優秀牝馬に選出され、高知所属馬としては初の快挙となった。
調教師としての地方通算成績は12154戦1267勝(重賞33勝)・2着1335回・3着1326回・勝率10.4%・連対率21.4%(2021年6月28日時点)。
主な管理馬
[編集]- ミスターカミサマ(2000年銀杯、全日本アラブグランプリ、2001年福山大賞典、福山桜花賞)
- ホマレスターライツ(2001年ローゼンホーマ記念)
- セブンアトム(2001年福山菊花賞)
- ホワイトキャンプ(2001年ヤングチャンピオン、2003年九州アラブ栄冠)
- ラピッドリーラン(2003年園田・福山交流特別、2004年新春賞、2005年金杯、福山菊花賞、2006年タマツバキ記念、金杯)
- アトムオーエンス(2005年ヤングチャンピオン)
- マルチグランドボス(2007年ヤングチャンピオン)
- クーヨシン(2011年福山2歳優駿、ヤングチャンピオン、2012年若駒賞、福山プリンセスカップ)
- トニフィカーレ(2013年黒潮マイルチャンピオンシップ)
- ジュメーリイ(2015年黒潮皐月賞)
- ディアマルコ(2016年のじぎく賞、高知優駿、兵庫サマークイーン賞、黒潮菊花賞、土佐秋月賞、2017年兵庫サマークイーン賞、2018年佐賀ヴィーナスカップ、兵庫サマークイーン賞、秋桜賞)
- カイロス(2017年福永洋一記念、2018年園田FCスプリント)
人物・エピソード
[編集]自身のみならず、父や叔父も福山競馬場の騎手・調教師として活躍し、一家揃って競馬界に携わってきた。息子も厩務員を務めており、アンガールズが出演するテレビ番組『元就。』(中国放送)に出演した事がある[4]。
主な厩舎所属者
[編集]※括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
- 中川浩行(1997年 - 2001年、騎手)
- 佐原秀泰(2001年 - 2013年3月・同年8月 - 、騎手)
- 山口竜一(2006年 - 2007年・騎手)※期間限定騎乗
- 神原勝志(2010年頃 - 2019年、厩務員)[5]
- 下村瑠衣(2013年 - 2018年、騎手)
- 嬉勝則(2013年 - 2015年、騎手)
- 山崎雅由(2018年 - 2021年、騎手)
- 濱尚美(2019年 - 、騎手)
脚注
[編集]- ^ 1頭目は1977年のヒダカセイユウ(番園一男騎乗)。
- ^ 1995年にトウケイニセイが更新(41連対)。
- ^ アラブ馬で日本一 14年間で809勝|ブログ“ローゼンホーマ” - ameblo
- ^ 元就。|放送スケジュール|エンタ魂 - エンタ魂
- ^ 廃止からの逆転 高知競馬復活の象徴ディアマルコの挑戦 netkeiba.com - 週刊netkeiba - netkeiba.com
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 調教師成績 - 地方競馬情報サイト
- 調教師詳細データ - nankankeiba.com
- 那俄性哲也厩舎 公式サイト|高知競馬場、競走馬の育成・調教 求人募集中 - 公式サイト