遠州洋悠仁
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基礎情報 | ||||
四股名 | 遠州洋 | |||
本名 | 鈴木 悠仁 | |||
生年月日 | 1992年4月29日(32歳) | |||
出身 | 静岡県磐田市 | |||
身長 | 167cm(現役時) | |||
体重 | 159kg(現役時) | |||
BMI | 57.01(現役時) | |||
所属部屋 | 北の湖部屋 | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 西三段目49枚目 | |||
生涯戦歴 | 96勝83敗46休(35場所) | |||
データ | ||||
初土俵 | 2008年3月場所 | |||
引退 | 2014年11月場所 | |||
備考 | ||||
2014年12月3日現在 |
遠州洋 悠仁(えんしゅうなだ ゆうじ、1992年4月29日 - )は、静岡県磐田市出身で北の湖部屋に所属していた元大相撲力士。本名は鈴木 悠仁(すずき ゆうじ)。身長167cm、体重159kg。血液型はB型。最高位は西三段目49枚目(2013年5月場所)。
人物
[編集]幼少期より相撲を始め、小学校4年次には静岡県代表として相撲大会に出場、小学校6年次には相撲の全国大会へ出場している[1]。磐田市立福田中学校時代は相撲部がないため、柔道部へ所属した。2006年に悠仁親王が誕生した際、同じ名前(読みは異なる)だったことから、地元紙の静岡新聞でも紹介された[1]。2007年8月に山形県で行われた、第38回全国中学校柔道大会に出場している。[2]
中学校卒業後北の湖部屋に入門し、2008年3月場所で初土俵。新弟子検査は、身長が基準を満たさないため、第2新弟子検査を受検している。前相撲では新序2番出世となり、翌5月場所で番付に名前が載る。初めて序二段に昇格した9月場所を5勝2敗で終えた後、翌11月場所からは長期休場となる。
2009年3月場所からは番付外となっていたが、同年11月場所から土俵に復帰し、前相撲をとったため再出世、翌2010年1月場所から再び番付に名前が載るようになる。同場所は西序ノ口25枚目であったが、5勝2敗としたところで、出場している人数の関係で八番相撲を取ることとなった。八番相撲は八菅山に敗れ、この場所の成績は5勝3敗となったが、八番相撲の負けは番付編成に反映しない規則となっているため、5勝2敗扱いとなる。同年5月場所は序二段で6連勝とし、勝てば優勝決定戦進出の可能性もあったが、斉心に敗れて6勝1敗となり、序二段優勝を逃した。その斉心は佐々木山との優勝決定戦に勝利し、序二段優勝を果たしている。
同年9月場所では三段目に昇格。以降は三段目と序二段の往復が続いている。2012年11月場所は序二段で再び6連勝したが、7番相撲で三段目の大乗に敗れて6勝1敗となり、優勝決定戦への進出をまたも逃した。2013年7月場所では、5日目の取組で左膝前十字靭帯を断裂して途中休場。翌場所以降は3場所連続で全休を続けて2014年3月場所で番付外まで転落したが、5月場所で復帰して、前相撲は3連勝で最初に出世を決めた[3]。同年11月場所を最後に引退した。
2020年11月より、YouTubeチャンネル「Re:アカルイミライ」を開設。ボーカリストのトウマと共にバラエティ動画を配信している[4]。
略歴
[編集]- 初土俵:2008年3月場所
- 序ノ口:2008年5月場所
- 序二段:2008年9月場所
- 三段目:2010年9月場所
主な成績
[編集]- 通算成績:96勝83敗46休(35場所)
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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2008年 (平成20年) |
x | (前相撲) | 東序ノ口23枚目 3–4 |
東序ノ口20枚目 4–3 |
東序二段115枚目 5–2 |
西序二段56枚目 休場 0–0–7 |
2009年 (平成21年) |
西序ノ口7枚目 休場 0–0–7 |
(番付外) | (番付外) | (番付外) | (番付外) | (前相撲) |
2010年 (平成22年) |
西序ノ口25枚目 5–3 |
西序二段84枚目 3–4 |
東序二段98枚目 6–1 |
東序二段19枚目 4–3 |
東三段目99枚目 3–4 |
東序二段20枚目 4–3 |
2011年 (平成23年) |
西三段目100枚目 3–4 |
八百長問題 により中止 |
西序二段18枚目 3–4 |
東序二段22枚目 5–2 |
西三段目83枚目 1–6 |
西序二段21枚目 4–3 |
2012年 (平成24年) |
西序二段筆頭 3–4 |
西序二段23枚目 4–3 |
西序二段5枚目 4–3 |
西三段目85枚目 3–4 |
東序二段4枚目 3–4 |
東序二段22枚目 6–1 |
2013年 (平成25年) |
東三段目61枚目 2–5 |
西三段目82枚目 5–2 |
西三段目49枚目 2–5 |
西三段目75枚目 1–2–4 |
西序二段12枚目 休場 0–0–7 |
西序二段82枚目 休場 0–0–7 |
2014年 (平成26年) |
西序ノ口16枚目 休場 0–0–7 |
(番付外) | (前相撲) | 東序ノ口21枚目 5–2 |
西序二段66枚目 5–2 |
西序二段24枚目 引退 0–0–7 |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
四股名
[編集]- 遠州洋 悠仁(えんしゅうなだ ゆうじ) 2008年3月場所 - 2014年11月場所
脚注
[編集]- ^ a b 静岡新聞 (2006年9月13日 朝刊 29頁). 磐田の鈴木さん「ぜひ柔道やって」/(中略)-僕も「悠仁」です、秋篠宮家ご長男命名.
- ^ 平成19年全国中学校柔道大会事務局 (2007年8月25日). “「第38回全国中学校柔道大会」のトップページより、「男子個人戦90kg超 試合結果」を選択”. 2008年7月2日閲覧。
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年6月号(夏場所総決算号) 109頁
- ^ “Re:アカルイミライ - YouTube”. www.youtube.com. 2022年3月1日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 遠州洋悠仁 - 相撲レファレンス