遍照寺 (真岡市)
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遍照寺 | |
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所在地 |
栃木県真岡市 中2402 |
位置 | 北緯36度24分33.49秒 東経139度57分25.34秒 / 北緯36.4093028度 東経139.9570389度 |
山号 | 如意山 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 金剛界大日如来 |
創建年 | 1338年(暦応年間) |
開基 | 足利基氏 |
正式名 | 如意山 寶珠院 遍照寺 |
文化財 | 跡、遍照寺のカヤ(県指定)、不動堂、木造胎蔵界大日如来、春日曼荼羅、遍照寺文書、遍照寺のヤブツバキ(市指定有) |
法人番号 | 3060005002891 |
遍照寺(へんじょうじ)は、栃木県真岡市にある真言宗智山派の寺院。山号は如意山。本尊は金剛界大日如来。開基(創立者)は足利基氏、中興開基(現在地付近移転)は中村時長[1]。
歴史
[編集]暦応年間(1338年 - 1339年)足利基氏[1]が京都醍醐寺三宝院門跡菅宮から菊花ご紋章と「如意山寶珠院遍照寺」の寺号を賜り、室町幕府足利尊氏の護守僧三宝院賢俊僧正によって中村城 茅堤に開山し、官寺と呼ばれ、通称「関北霊場中村大師」と命名された。
天文15年(1547年)~24年頃(1555年)頃、中村城最後の城主で宇都宮氏の臣、中村時長が中興開基となり、現在地付近に移転。 永禄元年(1558年)遍照寺焼亡。2代将軍足利義詮の寄進の五重塔や大門、山門など7堂伽藍が焼失。 天正年間(1573年 - 1592年)に現在地に再建。
伽藍
[編集]なお、遍照寺境内は中村城跡にあり、四方に遺構の空堀を廻らしている。
文化財
[編集]有形文化財
[編集]県指定
- 木像大日如来坐像 昭和36年指定
- 中村城跡 昭和35年指定
市指定
- 胎蔵界大日如来
- 不動堂
- 春日曼荼羅
- 遍照寺文書 平成12年指定
天然記念物・樹木
[編集]- 遍照寺のカヤ 昭和29年 県指定天然記念物
- 遍照寺のヤブツバキ 市指定名木
出典
[編集]- ^ a b 如意山寶珠院 遍照寺略縁起