速水春暁斎
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速水春暁斎
性別 | 男性 |
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国籍 | 日本 |
母語表記 | 速水春暁斎 |
姓 | 速水 |
読み仮名 | はやみ しゅんぎょうさい |
生年月日 | 1767 |
出生地 | 山城国 |
死亡年月日 | 15 8 1823 |
死没地 | 京都 |
子 | 速水春暁斎 (2代目) |
職業 | 浮世絵師、戯作者、呉服商 |
師匠 | 岡田玉山、竹原春朝斎、円山応挙 |
活動地 | 京都府 |
活動開始 | 1800 |
活動終了 | 1831 |
コレクション所蔵者 | 国立世界文化博物館 |
作者の著作権状態 | 著作権保護期間満了 |
速水 春暁斎(はやみ しゅんぎょうさい、明和4年〈1767年〉 - 文政6年7月10日〈1823年8月15日〉)とは、江戸時代後期の京都の浮世絵師、読本作者。
来歴
[編集]岡田玉山の門人、または竹原春朝斎の門人とされるが、円山応挙から絵を学んだともいわれている[1]。京都の人で姓は速水、名は恒信(後に恒章)。幼名は鉄之助。通称は彦三郎。春暁、春暁斎と号す。生家は京都で代々日野屋という呉服商を営んでおり、13歳で四代目当主として家督を継いでいるが27歳で隠居、50歳のときに再び家督を継いでいる。室町通四条下ル東側、両替町通三条上ル東側に居住しこの地で没す。作画期は寛政12年(1800年)頃から文政にかけてで、文才があり自作の絵本や読本、実用書などを刊行し、またそれら著作の挿絵も数多く描いた。地誌、往来物、節用集、教訓書などの挿絵を残す。画風は岡田玉山に近いという。享年56。墓所は京都市中京区裏寺町通蛸薬師下ルの光徳寺。
作品
[編集]- 『絵本忠臣蔵』初編・後編 ※初編は寛政12年(1800年)、後編は文化5年(1808年)刊行
- 『絵本武将勲功記』 ※楢村長教作、享和元年(1801年)刊行
- 『絵本浅草霊験記』十巻 ※文化3年(1806年)刊行 自画作
- 『年中行事大成』四巻5冊 ※文化3年刊行
- 『絵本金花談』 ※文化5年刊行
- 『都風俗化粧伝』三巻3冊 ※佐山半七丸著、文化10年(1813年)刊行[1]
- 『扁額軌範』 ※初編 文政2年(1819年)の序文あり。2編は文政4年(1821年)の序文。春暁斎編、合川珉和、北川春成画
- 「文読美人図」 1幅
脚注
[編集]- ^ 『浮世絵大事典』404頁。
参考文献
[編集]- 井上和雄編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり[2]。
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※53頁
- 国際浮世絵学会編 『浮世絵大事典』 東京堂出版、2008年 ※404 - 405頁
関連項目
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、速水春暁斎に関するカテゴリがあります。