近江鉄道モハ135形電車
近江鉄道モハ135形電車電車 | |
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基本情報 | |
運用者 | 近江鉄道 |
製造所 |
汽車会社(モハ135)[注釈 2] 近江鉄道彦根工場(モハ136・137) 梅鉢鉄工所(クハ1210)[注釈 2] |
種車 |
京急400形(車体) 西武モハ311・モハ326ほか(台車・制御機器) 近江鉄道モハ133(モハ135車籍) 近江鉄道クハ1216(クハ1210車籍) |
製造年 |
1922年5月(モハ135)[注釈 2] 1967年4月(モハ136・137) 1923年6月(クハ1210)[注釈 2] |
改造所 | 近江鉄道彦根工場 |
改造年 | 1966年9月16日(モハ135・クハ1210、改造認可日)[1] |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 | 直流 1,500 V |
車両定員 |
112名(モハ135・クハ1210) 110名(モハ136・137) |
自重 |
28.5 t(モハ135) 29.3 t(モハ136・137) 22.54 t(クハ1210) |
最大寸法 (長・幅・高) |
15,700 × 2,740 × 4,175 mm(モハ135) 15,700 × 2,740 × 4,145 mm(モハ136・137)[注釈 3] 15,700 × 2,740 × 3,770 mm(クハ1210) |
台車 |
DT-10(モハ135・136・137) TR-11(クハ1210) |
主電動機出力 | 105 PS |
搭載数 | 4個/両 |
駆動方式 | 吊り掛け駆動 |
歯車比 | 2.55 |
制御装置 | CS-1 |
制動装置 |
AMJ(モハ135・136・137) ACJ(クハ1210) |
出典:特記無き場合は『私鉄車両めぐり83 近江鉄道下』76頁 第5表 |
近江鉄道モハ135形電車(おうみてつどうモハ135がたでんしゃ)は、近江鉄道にかつて在籍していた通勤形電車である。本項では本形式と出自を同じくし、本形式と固定編成を組んだクハ1210形についても記述する。
概要
[編集]京急400形(初代)が車体更新を施工した際に不要となった旧車体を西武所沢車両工場を通じて4両分購入し[注釈 4]、1966年(昭和41年)から1967年(昭和42年)にかけて自社工場で改造の上竣工したものである[1]。入線に際しての改造項目は以下の通り。
- 車体を中央で切断し、15m級2扉車体に短縮[注釈 5][1]
- 床下機器を自社ストック品および元西武311系クモハ311・326[注釈 6]の解体発生品に換装[1]
- 連結面側に運転台を増設し、両運転台化(モハ136・137のみ)[1]
両運転台化された2両については増設運転台側は貫通構造のままとされ、貫通幌枠を避けるために一段上がった特異な雨樋形状も不変であったことから、前面から受ける印象は前後で大きく異なっていた。また、両運転台車については、米原寄り運転台直後の座席を撤去して窓内側に保護棒を追加し、郵便荷物合造車であるモユニ10の代用として運用されたこともあった[1]。
なお、車籍上はモハ135・クハ1210はモハ133形モハ133・クハ1216の改造名義とされ、モハ136・137は自社工場製の新車扱いとされている。[1]
入線後の経緯
[編集]モハ135・クハ1210は事実上固定編成として、モハ136・137は多賀線などにおける区間運用もしくは増結用車として、大きな改造を受けることなく運用された。しかし、車体の老朽化が進行したことから、モハ135・クハ1210が500系モハ504・クハ1504に名義を譲って1978年(昭和53年)6月30日付けで事実上廃車となったのを皮切りに、1981年(昭和56年)5月にはモハ136が500系モハ505に名義を譲り、最後まで残存したモハ137も1983年(昭和58年)5月に500系モハ506に名義を譲って廃車され、本形式は形式消滅した。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 車体票記は「クハ1207」となっているが、同車(クハ1210)が改番されたという記録はなく、詳細は不明である。
- ^ a b c d 車籍継承元のもの
- ^ 資料によっては高さを4,175 mmとしているもの[2][3]もある。
- ^ 旧デハ402・405・406・408の車体を購入したと推定されている。
- ^ これにより窓配置は種車のd1D4D4D2(d:乗務員扉, D:客用扉)からd1D7D2、もしくはd1D7D1d(両運転台車)に変化した。
- ^ この2両は旅客車両として使用予定で譲渡されたものであったが、入線後車両限界の都合で使用不可能と判断され、機器を取り外した後車体は解体処分されていた。