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辻辰之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

辻 辰之助(つじ たつのすけ、文政2年10月1日1819年11月28日) -  明治8年(1875年1月2日)は、勤王志士秋田県仙北郡六郷町(現美郷町)高野村大町の生まれ。

来歴 

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本名は隆好(たかよし)、国学・和歌に長じた辻勝兵衛(号は豊田舎紀耕)の長男。家業の麹製造や染め物の手伝いをしながら、祖父・平八の厳格な教育を受けて育つ。

秋田藩の郡方吟味役で漢学者の岩屋良兵衛に経史を学び、1832年天保3年)には平田篤胤の門人となる。1852年嘉永5年)、江戸へ出て各藩の有志や西郷隆盛らと交流を深めた。これから、20年ほど、京都水戸、久保田(秋田市)を奔走し、勤王を説き、討幕運動を進め、諸国を回った。

戊辰の役1868年69年)が始まると帰郷し、同志と連名の建白書を久保田藩主へ出し、自らは弟の兵助や息子らと、六郷で百余人の有志隊を組織し、官軍のためにつくしたが、戦後、同志への論功行賞もままならず、言動乱れたまま、56歳でこの世を去った。1918年大正7年)戊辰の役により、正五位を追贈され、六郷学友会建立の墓碑が円福寺にある。

大曲花館の斎藤勘左衛門後藤宙外とは縁戚である。

脚注

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出典

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参考文献

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  • 『六郷町史』[要文献特定詳細情報]
  • 『鐘はかたり 清水はささやく』(六郷町小史)、六郷町史編纂委員会編纂、平成16年
  • コトバンク[1]