辰馬吉左衛門 (13代)
13代[1] 辰馬 吉左衛門(たつうま[1] / たつま[2] きちざえもん、1868年6月24日(明治元年5月5日[3][4])- 1943年(昭和18年)10月10日[4][5][注釈 1])は、明治から昭和前期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・篤市[1]、篤一[6]。
経歴
[編集]摂津国西宮[4][5](現兵庫県[2]西宮市[3])の北辰馬家、辰馬悦蔵の長男として生まれる[1][3][4][5][6]。1883年(明治16年)嗣子のいない辰馬本家当主・11代辰馬吉左衛門の養子となる[1][4][5]。一時、東京の北新川、酒問屋・山縣源次郎の養嗣子に転じたが[6]、1896年(明治29年)辰馬本家・12代辰馬たきの養嗣子に復帰し[6]、1897年(明治30年)家督を相続し13代吉左衛門を襲名した[1][3][5][4]。
家業の酒造業を近代化して発展させ[4][5]、1917年(大正6年)本家酒造とは別に辰馬本家酒造 (株) を設立[1]。1924年(大正13年)酒造業を辰馬本家酒造に一本化した[1]。海運事業では1905年(明治38年)辰馬本家汽船部を設立し、その後、辰馬汽船合資会社、辰馬汽船株式会社と変遷して成長した[1][3][4]。また辰馬海上火災として保険業も経営し[3]、1937年(昭和12年)辰馬本家の事業を統括するため、持株会社、辰馬合資会社を設立した[1]。その他、西宮酒造組合評議員、醸造協会名誉会員、神戸海上運送火災保険取締役、日清火災保険取締役なども務めた[2][3]。
西宮市の上水道、市庁舎、市立図書館(初代)の建設事業に寄付を行った[3]。また、1917年(大正6年)設立の甲陽中学(現甲陽学院中学校・高等学校)の経営を引き継ぎ、1919年(大正8年)財団法人辰馬学院(現学校法人辰馬育英会)を創設した[1][4]。
政界では西宮町会議員を務めた[2]。1912年(明治45年)補欠選挙で兵庫県多額納税者として貴族院議員に互選され[7]、同年4月10日に就任し[8]、1914年(大正3年)10月6日に辞職するまで1期在任した[2][7][9]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『兵庫県人物事典 中巻』130頁、『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』210頁では10月13日。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『兵庫県大百科事典 下』192頁。
- ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』210頁。
- ^ a b c d e f g h 『兵庫県人物事典 中巻』130-131頁。
- ^ a b c d e f g h i 『朝日日本歴史人物事典』1027-1028頁。
- ^ a b c d e f 『日本食文化人物事典』192頁。
- ^ a b c d e 灘酒造家による事業の多角化と資産管理-辰馬本家を事例として大島 朋剛、企業家研究〈第7号〉2010.10
- ^ a b 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、22頁。
- ^ 『官報』第8640号、明治45年4月11日。
- ^ 『官報』第656号、大正3年10月7日。
参考文献
[編集]- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 『兵庫県人物事典 中巻』のじぎく文庫、1967年。
- 『兵庫県大百科事典 下』神戸新聞出版センター、1983年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年。
- 西東秋男編『日本食文化人物事典 - 人物で読む日本食文化史』筑波書房、2005年。